も自己性の支配の及ばぬ限り即ち他者性の勢力の殘る限り、自と他との區別の存する限り、根源的原始的他者性との聯關は存續するのである。ましてや自然的他者性への復歸を意味する客觀的實在世界が全く空間性の支配の下に立つは當然である。ここでは空間性はもはや譬喩的表現としてではなく、實在者そのものの本質的性格として威を揮ふ。かくてそれは客觀的時間即ち客觀的實在世界の時間性において最も重要なる契機をなすに至る。
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(一) プラトンの eidos 又は idea は、「見得べきもの」(horaton)と區別して特に「思惟し得べきもの」(〔noe_ton〕)と呼ばれをるに拘らず、本來「かたち」又は「すがた」を意味する。すなはち高級なる「見得べきもの」である。比較的嚴密なる概念的論述を試みてゐる「國家」篇によつても、それは「思惟し得べき場處」又は「空間」(〔ho noe_tos topos〕)において存在する(Poaliteia 517 b)。なほプラトンの思想がプロティノスを介して、ダンテの「天國」篇に影響したことは多くの學者の認める所である(例へば Th. Whittaker: T
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