、又生の現實の理解に際し規範乃至價値としての意義を發揮するのも、ここよりして解し得るであらう。又自然科學より哲學への道がはじめより塞がれてゐることも容易に看取される事柄である。自然科學は客體面における他者性の強化による自然的生への復歸として哲學とはまさに正反對の方向を取る。哲學が將來への方向の徹底ならば、自然科學は反對に過去への方向の徹底なのである。
過去と將來とは交互的聯關において立つ。この場合吾々が特に注意し強調する必要のあるのは、重心が斷然將來へ傾いてゐることである。そのことは、將來が自己性と形相との領域に對應するものとして、自然的生よりの解放自由の世界への向上を志す文化的生にとつては、過去に比して遙かにそれの本質に適合したものであることによつて、すでに一般的に明かにされるが、立入つて考察すれば特に次の如き具體的の事情に基づく。すなはち、歴史的時間において現在を介して將來に影響を及ぼす過去は、客體的存在を保つものとして純粹の他者ではなく、可能的自己の範圍における他者性の契機に對應するものに過ぎず、すでに主體の自由に委ねられたるものであり、從つてすでにはじめより將來的性格を有し、
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