の「無」や「非存在」は、主體の現在の内容をなすものとして、それ自ら一種の有、存在の一種の仕方である。從つて囘想は、それの可能性の根據である反省の立場においては、一つの有り方にある何ものかと他の有り方にある同じ何ものかとの間に存する聯關意味聯關において成立つといふべきである。しかしながらこれだけでは過去の性格を可能ならしめる囘想の意義を盡したとはいひ難い。反省の立場においての無といふ有り方が更に體驗――この場合自然的生の體驗――においての無を代表する場合にのみ囘想は有意味となるのである。しかしてこのことは反省の主體が更に根源への復歸をなし得ること、その意味において、すでに前に述べた如く、先驗的囘想をなし得ることを前提とする。しかるにこの事は、すでに前に述べた如く、すべての生從つて自然的生が體驗としてすでに反省の契機をうちに包含することによつて可能なのである。すなはち反省は無より有を生ずるのでなく、すでに潛在的にあるものが顯在的にあるやうになるを意味する。尤もかく言ひかく考へる場合吾々は反省の立場に立ち、體驗における生の從つて實在性の契機と反省の從つて内容的觀念的契機とを區別しつつ兩者の間
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