節以下、參看。
(三) 「宗教哲學」殊に一六節、二〇節、參看。
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      三 文化的時間性

        一一

 徹底したる觀想に在る主體は自己を表現し盡して全く客體の蔭に隱れ、自己實現として活動としての姿を表面に現はさぬ故、その限りにおいて時間性は離脱される。ただ自然的生と自然的實在性とへの復歸を意味する客觀的實在世界の認識においては時間性はなほ殘る。かくて歴史的時間とは異なる客觀的時間(又は宇宙的時間)が成立つ。主體は姿を隱すゆゑ、これは主體自らがその中にあつて體驗する時、即ち主體自らの性格をなす時間性ではなく、客體の世界客觀的實在世界の性格・形式・法則などとしてのみ成立つ時間性である。すなはち生きられる時ではなく觀られる時である。吾々が日常生活において時を測り時を語り存在並びに出來事の時間的位置を定める場合の時乃至時間性はこれである。時計の時天文學の時もこれである。主體も、外的客觀的實在世界の一部と特に親密なる關係に立ち、廣き意味において身體と呼び得る表現を遂げる限りにおいては、この時の中に生存する。嚴密なる充實したる意味における文化的時間即ち
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