表し、自己性と形相との側に立つ形象は内容を代表するはいふまでもない。實在性はなほ隱れたるものに當り内容はすでに顯はなるものに當る。かくの如き構造はすでに日常生活において具はるが、學問即ちこの場合所謂精神科學において確立と擴充とを見るであらう。然らばさきに高次の反省と名づけたもの即ち新しき高次の客體の分離はいかにして行はれるか。それは、自己性と形相との位置に立つ形象を、他者性と質料との位置に立つものより引離し、それに獨立性と――反省の立場においては勿論さうでなければならぬが――優越性とを付與しつつ、固定することによつて行はれる。自己性の契機のみを代表するものとして斯の如き形象即ち純粹形相は、生の最も顯はなる姿それの眞實の存在――プラトンが 〔onto_s on〕 又は ousia と呼んだもの――を開示するであらう。他者性を代表する形象は後ろに置き棄てられるゆゑ、客體面の凹凸波動は跡を絶ち、實在性の曇りは吹き拂はれて、隈なく澄みわたる客體面に、各それ自らの明るさに照りはえる存在の靜かな姿のみが、見入る觀想の眼に留まるであらう。これが哲學の世界である。文化的生の及ぶ限り自然的生よりの解放は
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