なる繰返へしではなく、或は整理であり或は展開であり或は擴充である。かくてここに客觀的實在世界とそれの認識とが成立つ。このことは既に日常生活において行はれるが、それを修正しつつ完成し徹底的に成就せしめようとするのが學問即ち所謂科學の任務である。科學の對象である客觀的實在世界――簡單にいへば所謂客觀的世界――は自然的生及び自然的實在性との聯關を認識によつて維持しようとする働きの所産であり、從つて科學の對象としての「自然」は、カントの洞察した如く、文化的活動の所産である。自然的生に根源を有するもそれより區別されねばならぬ。尤も客體内容のうち、實在的他者の象徴としての意義を獲得せず又それ自身實在者の位に据ゑられることなしに、それ本來の姿において他者性の固定を見るものもある。數學的並びに論理的思惟の對象の如きはこの類に屬する。
客觀的實在世界の認識は主體が反省の立場に立ちながら、しかも、一旦少くも志向の上においては遠ざかつた、實在者との關係交渉に再び接近するを意味する。さて實在者との交りはすべての生の基礎であり根源であるが、根源を去りたる反省はいかにして又その根源へ復歸し得るであらうか。このこ
前へ
次へ
全280ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング