(二) Althaus: Die letzten Dinge (1933) . S. 135 ff.
(三) R. otto: 〔Su:nde und Urschuld (1932) . S. 87.〕
(四) 一〇節、一一節參看。
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        四九

 さて、顯はになつた永遠、到來した死後の生の内容はいかなるものであらうか。宗教的構想力は、すでに論じた時と永遠と、こなたの生とかなたの生との間に存する三重の關係、いはば永遠の形式的性格の指し示す線に沿うて動かねばならぬ。永遠的生は時間的生に對して、第一にそれの根源であり、次に克服であるが、更に最後に完成である。時間的生においてすでに永遠的生は内在する。そこで蒙るあらゆる歪曲、そこで出會ふあらゆる抵抗にも拘らず、それはすでにそこに啓示され、すでに生の性格を更新してゐる。吾々は同じ方向の究極的完成・徹底的純化を目標となしうるであらう。尤も目標が目標として、現にこの世にある吾々にとつては、なほ到達されぬ彼方のものであることは、常に嚴格なる警戒と自己批判とを要求するであらう。
 死後の生永遠的生の核心をなすは、
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