み行はれる。身體は象徴による共同の行はれる場處又は通路である。人格の意味における人と人との交はりは廣き意味の言葉を通じてのみ行はれる。顏色・身振り・目・耳等は人格的共同の最も重要なる器官である。身體の交はりを通じてのみ人格の共同は行はれるのである。それ故「身體の甦へり」は人間の人格としての復活を意味する。精神の意味における靈魂の不死性の觀念は人間學的に誤れる乃至甚しく不十分なる理解に基づくといふべきである。しかしながら、すでに述べた如く、靈魂は原始的段階においてはむしろ全き人間を意味した。それは決して身體なき人ではなく身體を具へた人自身である。ただ生前と異なつた存在の仕方をなす相違があるのみである。尤も今日の文化人より見れば、生活と運動とを止め腐敗に進みつつある身體を傍らに眺めながらなほ身體を具へた人間の存在を信ずるは不合理のやうに思はれようが、原始人はかかる論理的困難には思ひ附かず又累はされもしなかつた。且つ輪※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]の思想を抱く宗教者や靈魂の不死性を説く哲學者たちにおいても、身體を離れたる靈魂は實在性において不完全なのではなく、むしろ完全となるので
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