見入つてゐるが、その姿はいつかは遮るものも隱すものもなくさながらに顯はにならねばならぬ。將來の現在性・將來の現在との完全なる一致において永遠性は存する故、この顯現は將來の方向に求められる。それは「希望」又は「待望」の對象である。さて永遠が時の眞中に顯はになる限りそれは信仰の對象である。それが永遠であり神聖者の創造の惠みである限り、それの完全なる顯現の保證はすでに信仰のうちに含まれてゐる。信仰は永遠の完全なる到來の約束といひうる。それが約束であり保證であり、從つて自らの以外乃至以上の何ものかを指し示す限り、信仰は希望となるのである。超越的なるものへ向ふものとして、いかなる宗教も何等かの希望の上に立つてゐる。しかしながら信仰も希望もそれ自身究極的なるものではあり得ない。それらは道案内に過ぎぬ。目的地に到着するとともに姿を消さねばならぬ。永遠と愛との完き顯現は宗教の退場を意味する。
 さて完き永遠の到來はいかにして行はれるであらうか。先づ第一に、時及び時間性の克服は完成されねばならぬ。時の終りにおいて又それを通じてのみ永遠は完く顯はとなり得るのである。しかもそのことは完成されたる事實としての
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