服することによつて、二重に過去を克服しつつ、永遠性の威力を發揮する。このことは更に次の事柄によつて一層明かにならう。罪の赦しは責任を不問に附することである。責任を負ふ限りすべての罪惡は「罪責」(Schuld)である。罪惡も罪責も不問に附せられることによつてそれ自身無くなるものではないが、他者と主體との關係はそのために根本的變革を來す。罪惡においては、神との關係は倒逆され、本然の姿に背いて共同への反抗となる。これを元に戻すべく反逆そのものの眞中に飛び入る惠みが即ち赦しである。人間的に言ひ表はせば、それは敵に對する神の愛の現はれである。このことは更に遡つて、罪惡の負ふ責任が永遠者に對するそれであることを痛切に教へる。人間的主體は愛せられるものとして、愛の深さを身に覺えることによつて、はじめて自己の罪責のいかに大なるかに目覺めるのである。自然的文化的生にのみ留まる間は、犯したる罪惡は畢竟自己實現の失敗不成功に過ぎぬであらう。不快を感じ遺憾に思ふといふことは或は見遁がされようが、責任を感じ罪を悔いるといふことは、許し難き僭越といふべきである。根源まで遡れば過去は無に歸したるものである。存在せぬ
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