時間性を克服し永遠性を成就する。さてかくあるとすれば、主體は有限的であることによつてのみ永遠的でありうるのではなからうか。永遠性が主體の眞の存在の仕方であり、時間的存在者はそれに憧れそれへと昇るべく努力せねばならぬとすれば、かかる有限性こそ眞の有限性、本質において有限的なるものの本來の性格純眞の姿といふべきである。この有限性は、かの時間性に等しき有限性の如く、單に部分的否定即ち半ば有半ば無といふが如き妥協的存在ではなく、一方徹底的に即ち本質の中心まで無でありながら、他方徹底的に有即ち滅びぬ存在である。今これを眞の有限性と呼ぶならば、時間性と表裏の關係にある有限性は、「惡しき有限性」の名を與へらるべきであらう。
 眞の有限性において主體は絶對的他者の愛に安住し、そこより離れて自己の獨立を求めるといふことがない。それの主體性それの動作の中心は、他者の純粹の象徴としての自己を主張することに盡きる。從順と信頼とがそれの態度である。しかるに自然的生における主體は、本質においては有限的であり無の上に立ち無を自己の中心に抱きながら、あたかも純粹の有であるかのやうに振舞ひ、ただひたすらに自己主張へとの
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