との完全なる一致」、「將來の完全なる現在性」こそ永遠性である。創造は、諸民族の神話の好んで語る如く、時の始めにおいてただ一囘起る出來事ではなく、永遠の世において絶えず起りつつある出來事である。創造のある處では一切は常に新たに常に若く常に生き常に動く。窮みなく湧き出る將來の泉よりいつも新鮮なる存在を汲み受けつつ、いつも若き現在の盡きぬ喜びに浸る――これが永遠である。かくの如く將來が完全に現在と一致し現在を支配する處には過去ばかりでなく「未來」の居るべき場處が無い。既に述べた如く、「未來」は將來が現在と一致せぬ處に發生する派生的現象である(一)。「將に來らむ」が將來の根源的意義であつて、未來即ち來らむとするものが未だ來らぬのは、自然的生の本質的缺陷によつて將來が蒙る制限に外ならぬ。永遠の世においてはこの制限が全く解除される。ここでは將に來らむとするものは正に即ち必ず來るのである。永遠性の體驗乃至待望が存在する場合なほ「未來」について語るならば、それは無思慮の甚しきものといふべきであらう。要するに、永遠性は無時間性の如く時の簡單なる否定ではない。それは時の克服であるには相違ないが、他方またそ
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