的以上の意義は許し難いであらう。要するにこれは結局宗教的信念がそれぞれの立場より解決すべき問題であるが、哲學はその解決の取るべきであらう大體の方向は示唆しうるであらう。先づ時間的存在の基礎をなす自然的實在者が神の創造の惠みより除外される理由は、假りにあるとするも、極めて薄弱を免れず、之に反してそれのうちに包容される理由は極めて有力であるであらう。それの存在は直接性において成立つものとして結局無に歸すべきものではあるが、しかも存在であるには變りが無い。誤つた方向を取つてゐるにせよ、そこに存在の肯定主張があることは爭ふべくもない。若しそこにあらゆる存在を非存在の中に葬りながら更に新たに非存在の中より呼び出す創造の惠みが全く働いてゐないとすれば、それが、何であるか又いかにあるかは別問題として、とに角「有る」といふ儼然たる事實はありえぬであらう(三)。かくの如くにして、主體の前に立塞がつてそれの前進を阻み又それと接觸することによつて主體を無へと押遣る自然的他者の實在性は、歪められたる形においてにせよ、神聖者の象徴、神の言葉を傳へるものとなるであらう。觀念的存在者も、同樣の理由によつて、何等かの
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