こではエロースをしてそれ本來の目的を遂げしめることによつて行はれてゐる。すなはち、エロースがそれへと目がけて努力はしながらも到達はなし得なかつた客體――この場合無論純粹客體――との主體の完全純粹なる合一がここでは永遠性なのである。しかしながら、すでにしばしば論じた如く、活動を克服しようとする觀想の志向は果して成遂げられるであらうか。成遂げられたとすれば、それはあらゆる他者性の消滅從つて主體性そのものの壞滅と同じではなからうか。生と名づけ得るものはいつも他者性を含む。他者性の消滅した處には生もなく又勿論生の共同もあり得ない。次に、假りに神そのものの永遠性は許すとして、人間的主體は果してそれに參與しうるであらうか。神そのものはあらゆる活動あらゆる時間性を超越してゐるとして、時間的生を生きエロースによつて地上に活動を續けてゐる人間的主體は、いかにして又果して天上の永遠の世界まで昇りうるであらうか。エロースの目的がすでに完全に達成されてゐる神においてはもはやエロースは無い。神よりして人へと愛の手は差し延ばされない。人が神へと向上の努力を試みねばならぬ。その努力は果して報いられるであらうか。答は
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