眞實の問題として成立ち得る。
その問題は簡單にいへば次の通りである。絶對者神聖者と關係交渉に立たうとするものそれと接觸するものは無に歸する外はなく、それに對して他者であるものは非存在者以外にあり得ぬならば、いかにして主體は我自らは現にそれの面前に立ちそれの他者として存立し得るのであらうか。創造と神の愛とがこの問に對する答へである。「無よりの創造」はややもすれば、無先づあり神がそれに働きかけてその中より有を造り出す、といふ風に表象され易い。しかしながらかかる表象に譬喩的表現以上の意義を許したならば、甚しき誤解を免かれ難いであらう。神の働きを時間的に畫がくことの不穩當を除いても、そこでは神の働きが文化的活動の像によつて表象されるため、無は嚴密の意味の無ではなく、存在の一種の仕方、この場合可能性乃至質料としての有り方に過ぎぬものとなつてゐる。周知の如く、文化主義に徹底したギリシア人はかくの如くに 〔me_ on〕(無)を考へた。しかしながら無は有の傍ら又は外にそれ自らの存在を保つものとして存在してゐるのではなく、單なる契機しかも克服されたる契機として有のうちに包含されてゐるのである。主體を
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