他者との間に媒介の任に當り得る第三者は存在し得ないのである。今假りに觀念的他者がそれとすれば、これは主體を再び文化的生とエロースとへ押戻すであらう。實在的他者がそれとすれば、それが絶對的實在者でない以上、主體は更に逆轉を續けて自然的生と根源的時間性とへ墜落せねばならぬであらう。假りにかかる歸結を考慮の外に置くとするも、第三者と絶對的他者との間には結局同じ問題が繰返へされねばならぬであらう。かくて主體は絶對的他者と先づ直接的交渉に入らねばならぬのである。神との共同に入らうとするものは先づ自ら神の面前に立たねばならぬのである。神聖なる者の尊嚴と威力との前には逃げ隱れはもともと全く不可能なのである。若し現實に存在する諸宗教のうちに、絶對的他者と人間的主體との間を媒介する第三者を説くものがあるとすれば、その場合その第三者は實は第三者でなく神そのものであるか、さもなければ、神は實は神でなく、言ひ換へれば、神聖性は不徹底なるものにをはるか、に外ならぬであらう(三)。それ故、繰返へしていへば、人間的主體は共同に入るとともにすでに先づ神を直接に接觸せねばならぬ。しかるにこのことは、上に述べた如く、壞滅
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