じ思想を言葉美しく表現したものに外ならぬ。なほ彼に從へば、永遠的神的なるものを觀ることによつて自らも永遠的神的となる魂ひは、實は忘れたる故郷に歸り行くのである。スピノーザに從へば、客體と主體との一致乃至合一を意味する認識は、實體(substantia)の同一性一元性によつて根據づけられる。人間の永遠性は神への直觀知及びそれの直接的必然的歸結である神への知的愛より來り、かれ自ら神の永遠的樣態(aeternus modus)であることに基づく。從つて人の神に對する愛、永遠的愛、は神が自己を愛する愛と同一である。云々。
 さてこの思想、文化主義の魂ひの泉より迸り出たこの思想を文化的生の基本的性格をなす自己實現と結び附けて眺める時、吾々は次の如き事態が直ちに眼前に現はれ來るを見るであらう。主體の自己表現のある處には必ず現在があり存在があり同一性がある。これらは皆等しく自己性に基づく。しかるに自己性は自己實現の活動によつてはじめて現實的となる。主體がはじめより即ち現實的にのみ超時間的であるならば、勿論問題は存せぬであらうが、かかる主體は實は純粹客體となつた主體、主體のイデア、主體性に過ぎず、それ
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