黷フ向ひ行く現在にいつまでも出會ふことなしにをはる。將來と現在との間に存するこの矛盾的關係は畢竟主體と他者とが生及び存在の眞の共同に達し居らぬことを指し示す。後に説くであらう如く、永遠性における時間性の克服は主としてこの點に手掛かりを見出すであらう。
吾々の見解は歴史的瞥見によつて一段の力を添へるであらう。アウグスティヌスの「時」の論はこの題目について思索する何人も研究の出發點となし又終始指導者となさねばならぬ劃期的業績である(二)。時の實在性が「現在」に存することを承認しながら、その現在が延長を有すること一定の内部的構造を具へてゐることを洞察して、根源的體驗における時の眞の姿を明かにしたのは彼の不朽の功績である。かれは時を精神の延長(distentio animi)と呼び、これを、現在が單純無差別なものでなく、將來と過去とを包括することに置いた。すなはち彼に從へば現在は三つの樣態乃至契機より成立つ。時は主體の基本的なる存在の仕方であるゆゑ、これら三つの契機には主體の三つの基本的動作が對應する。すなはち現在は直觀(contuitus)將來は期待(expectatio)過去は記憶(me
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