在を置き棄て、無時間的超時間的客體として永遠の世界に新しき住居を見出すであらうが、それにも拘らず、時間的存在を保つものは依然として同じ存在を繼續せねばならぬであらう。時間性の觀念が超時間的であることは時間的存在者が依然時間的であることに何の影響をも及ぼさぬであらう。高次的實在者は、客體的觀念的存在者がそのままの姿で實在者の位に高められたるものとして、本來主體性を缺く。それには時間的存在者に働きかける活動性が缺けてゐる。力・活動・發展・原因・主體・客體等のイデー・形相・範疇が、靜かなる永遠の世界に仰ぎ見らるべき高貴なる光り輝く存在を保つてゐるとしても、吾々が現にそれの中に生きてゐる可滅的時間的世界は、それより何の御蔭を蒙ることもないであらう。若し高次的實在者が――通俗的にいへば、神が――直接に客觀的實在世界において高次的絶對的主體として活動するといふことならば、吾々はすでに論評した内在的形而上學的世界觀としての所謂有神論に立戻らねばならぬであらう。しからば、時間的世界の眞中に活動する實在者がいかにして時間性より自由であり超時間的性格を保ち得るか、といふ反對の方向よりの難詰は直ちに襲ひ來る
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