ォ・攝理等――において自己を表現しつつそれを完成しそれに終極を與へる、包括的全體的なる、しかも他者である主體、いはば客觀化され最大限度に擴大されたる文化的主體である。かくてそれの自己實現は本質的必然性を以つて人間的主體の自己實現を完成と終極とに導くであらう。これは通常テイスム(Theismus 有神論)の名をもつて呼ばれる、東西古今に亙つて極めて廣く行はれる世界觀である(三)。理論的學的論據を具へたものとしてはプラトンの 〔De_miourgos〕(造物者)の思想が多分それの最初のしかも典型的なる實例であらう。この有神論の協力により或はそれの前提のもとに、人間的主體の不死性永遠性は確乎たる基礎の上に置かれるが如く見える。
 さて客觀的實在世界の認識ははたして一切を包括し統合する絶對的實在者の觀念を歸結として要求するであらうか。世界の聯關や秩序ははたして完成と終極とを示すであらうか、乃至許すであらうか。形而上學ははたして可能であらうか。吾々はカント哲學の根本問題の一つであつたこの問題を今ここに論議する遑もなければ又必要もない。吾々は有神論が一個の信念として兔に角すでに成立つてゐる事實より
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