著メも過去も姿を消すであらう。これは活動の靜止に歸したる状態に外ならず、かくてここに時間性は完全に克服し盡されるであらう。しかしながらかくの如き事態は決して現實とはなり得ないのである。文化的生の成立は他者性の存在を制約とする。しかも他者性の存在する限り、それより發する妨碍や壓迫は跡を絶たぬであらう。このことは自然的生においては現在の過去へ無への絶え間なき沒入を意味した。かくの如き基礎の上に築かれればこそ文化的時間も流動を示すのである。そこでは現在は過去及び將來を内部的契機として包容し、從つて主體性の基本的性格としての活動は、現在において又現在を通じての過去と將來との聯關として成立つが、しかもこの聯關は中心の移動する過程として絶えず繰返へされねばならぬ。この繰返へしが文化的主體によつて體驗されるばかりでなく、客觀的實在世界の形相乃至秩序として固定されたものが客觀的時間である。それは移動する現在の等質的連續を本質とする。この連續は終極する所なく、從つて無終極性は客觀的時間の本質的性格をなす。さて目的論的論證はいかなる現在も絶えず移動しいかなる活動もいつも不完成にをはるを知らぬものではない。
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