フ存在何等かの内容の構造・秩序又は形相としてのみ現實には存在する故、歴史的傳統の示す上記の如き態度もあながち理由なきことではない。ただ吾々は時そのものの本質それの實相を、根源的體驗にまで遡つて究めることを忘れてはならぬ。かくすることによつて吾々は時そのものの本質とは沒交渉なる他方面の學説や思想によつて理解を晦まされ妨げられるを免かれるであらう。多くの人々の如く、客觀的時間そのものを殆ど問題とするに及ばぬ自明の事柄であるかのやうに前提し、ただそれの始めや終りの有り無しについて論ずるは、全く方法を誤つたものといはねばならぬ。言ひ換へれば、吾々は主體及びそれの根源的の生き方と聯關させつつ、先づ時を生き方として時間性として理解し、更に時及び時間性において根源的なるものを究めることによつて、それの諸層諸段階を區別しつつ明かにするを力めねばならぬ。アウグスティヌスとベルグソンとは、すでに前に述べた如く、この正しき方向へ吾々を導いた尊敬すべき先達である。尤も道そのものはもとより吾々自ら開き歩み進まねばならぬ。
吾々自らの答はさきに客觀的時間性について論じた所によつてすでに與へられてゐる。吾々は無終
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