空間的の或る規定例へば長さといふが如きものに置換へられるであらう。そこには嚴密の意味の方向即ち時の不可逆性は存在せず、いかなる變化も運動も逆に元に戻すことが可能となるであらう。現に物理學の基本的法則が時の方向に對して全く無頓著であるとは學者の説く所である(一)。時を全く空間に還元し四次元の世界を説くことが、自然科學説として正しいか否かはその道の人の判斷に委ねらるべきであらうが、かくの如き思想そのものが時間性の客觀化を極端化したものとして優に成立し得ることは疑ひの餘地が無い。
 しかしながら客觀的時間は空間ではない。それは、空間化され殊に空間的像を借りずには表象し得ぬものであるが、依然時間である。主體は姿を隱くさうとはするが決して自ら無きものにしようとはしない。客觀的時間が文化的時間の變種である限り、文化的生從つて又自然的生の主體は儼然蔭に立つてゐる。そのことによつて、一切を包括する等質的なる内部的分化を有せぬ現在は、一定の方向を得、一定の方向を取つて動くもの流れるものとなる。かくて時の流動推移が成立つ。但し嚴密の意味における時の内部的構造、過去と將來との律動、はもはや逝きて歸らぬものとなつた以上、時の流動推移は現在(今)の連續に過ぎぬものとなる。包括的なる一つの現在はいくつもの小現在に分裂し、かくて等質的ながらも他者性を内に含む、存在の客觀的秩序としての時が成立つ。これが客觀的實在世界の最も基本的秩序である空間の助けによつてはじめて存在すること、又それの像の助けを借りてはじめて表象され得ること、は當然といふべきである。かくて客觀的時間は、時の點即ち今(現在)の連續として、一定の方向に向ふ直線として表象される。各時點の關係は單に外面的即ち空間的である。一が他に非ず一は他と相容れぬといふだけに盡きる。一定の方向を有するゆゑ「前」「後」の別はある。しかもこれさへ、すでにアリストテレスの見拔いた如く(二)、本來は空間的規定なのである。それが過去及び將來とは全く別の事柄であるはもはや特に言ふを要せぬであらう。
 空間化したる時間に外ならぬ客觀的時間においては、それの内部的構造は、空間においてと同じく、等質性即ち同一内容の單なる連續單なる繰返へしに盡きる。一と他とを區別するものは、單に、他であること、互に他であること以外にはない。このことは根源まで遡つて次の如く理解することが出
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