べくもない。
過去が他者性の領域に對應するに對し、「將來」は自己性と形相との領域に對應する。過去が受動的であるのに反し將來は能動的である。一は働きかけられるもの他は働きかけるものである。
過去より存在を受取つた主體は、かく與へられたるものを、將來として前面に顯はになつた自己によつて形作りつつ、自己實現自己表現をなさうとする。時は過去より現在を經て將來への方向を取つて進む。
過去も將來も現在の共通の地盤の上に立ち、否むしろ同一現在同一自己の中に全く包括され、それの内部的分化乃至組織としてのみ成立つ。兩者は等しくともに同じ現在同じ自己の有り方であり、ただ異なつた有り方としてのみ區別されるに過ぎぬ。かくしてここに現在を介して兩者の間に交互的聯關が成立する。先づ過去は、存在の供給者として形作らるべき質料として客體の他者性の領域として、それにおいて自己を實現する主體の動作を制約し制限する。又そのことによつて將來に影響を及ぼす。客體が實在するものの世界との聯關を保つは過去によつてであり、過去の根源は實在する他者又は主體である。中にも、認識によつて維持固定される實在的他者との聯關は從つて客觀的自然は、過去の背景をなしつつそれの他者性を強化するに特に役立つ。しかしながらかくの如き自然も客體に屬し從つて可能的自己としてのみ文化的意義を有し、又過去も結局主體の現在に包括されて成立ち從つてそれの支配の下に立つ故、文化的歴史的時間においては、過去は自然をも含めて自己の過去としてのみ成立つのである。主體が自己の過去の土臺の上に立ち、それを與へられる可能性與へられたる質料となしつつ、それにおいて又それに應じて自己を實現し表現する處にのみ歴史は存在する。
過去がすでにさうであるが、まして將來は自己の將來としてのみ有意味である。將來は文化的生における形相及び自己性の領域に對應するものとして、現在を介して過去に働きかけそれを形作る。將來は自由の領域である。それは又活動における自己性の契機を表現するものとして觀想と特に親密なる間柄に立つ。活動する主體は自由の世界を求めつつ來るべき現實を將來に望み見る。これは觀想の働きによつて行はれる。かくの如く活動の一契機として將來に向ふ觀想は通常特に「構想」又は「想像」と呼ばれる。
過去に囘想が對應する如く將來には構想が對應する。過去は他者性の側に立つものと
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