り現實性への推移としていつも缺乏より充實へと向ふ。それ故純粹の現實性純粹のエネルゲイアにおいては充實あるのみ、從つて運動は無い。さて、かくの如き動作はただ觀想においてのみ可能である(二)。觀想(〔theo_ria〕)の本質は、觀られるものと觀るものと、認識の客體と主體と、が同一形相において合一すること、主體よりいへば、それ自身客體の形相に成ることに存する。それ故その本質の純粹なる實現は、主體と客體とが全く同一であり、從つてあらゆる努力あらゆる運動を超越して、兩者の合一がいつもすでに成遂げられてゐる處にのみ見られる。このことは純粹なる完全なる自己認識、思惟の思惟、である神において事實となつてゐる。人間的主體はそれの思惟をもつて神の思惟に與かることによつて、又無上の歡喜と幸福とに與かる。云々。アリストテレスは永遠性の概念そのものの論究は試みなかつたが、神を永遠的と呼び、又特に永遠的生が神のものであるを説き、人間に關しては神の思惟に與かる限りの理性を特に不死的・永遠的と呼んでゐるを思えば、彼が神においては自己との生の完全なる共同を、人においては神との完全なる生の共同を、永遠性の本質と解したことは、全く疑ひを容れる餘地が無い(三)。かくの如き傳統を繼いで、時間性との聯關において永遠性の周到なる論究と明確なる概念規定とを試み、イデアリスムの哲學の永遠觀を完成したのはプロティノスである。後の思想は彼の祖述以上に多く出でぬといつても過言ではないであらう。主體と客體との完全なる合一、即ち他者性を背景とする完全なる同一性、が彼においても永遠性の本質的特徴である。かれの特に際立つた功績は、永遠性が生において成立つことと、全體性乃至無限性を特徴とすることとを強調した點に存する。アリストテレスにおいてと同じく彼においても、神即ちこの場合 nous は純粹なる完全なる觀想であり、人間はこの神的觀想に與かることによつて、即ち觀想の働きをもつて神との合一を遂げることによつて永遠性を獲得する。
 この思想は、永遠性が生の共同從つて愛において成立つことを認めた點において、眞理の深き洞察を宿してゐる。しかしながらその愛は觀想主義の立場におけるエロースとしての愛以上に出でなかつた。尤もエロースは本質上憧れであり缺乏を前提としてのみ成立つゆゑ、何等かの意味においてそれの超越が行はれねばならぬ。このことはこ
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