チに添へられねばならぬ。それ故本書はあらゆる場合に通ずる總稱として「將來」を採用した。
昭和十八年一月
[#地から3字上げ]著者
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目次
第一章 自然的時間性
第二章 文化及び文化的時間性
一 文化
二 活動と觀想
三 文化的時間性
第三章 客觀的時間
第四章 死
第五章 不死性と無終極性
第六章 無時間性
第七章 永遠性と愛
一 エロースとアガペー
二 神聖性 創造 惠み
三 象徴性 啓示 信仰
四 永遠と時 有限性と永遠性
五 罪 救ひ 死
六 死後の生と時の終りの世
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第一章 自然的時間性
一
「永遠」は種々の意味において時乃至時間性を超越乃至克服する何ものかと考へられ得るゆゑ、「時と永遠」の問題は種々の形において種々の觀點よりして取扱はれ得る。吾々は今これを宗教哲學の觀點より取扱はうと思ふ。これはプロティノス以來の歴史的傳統の壓倒的壓力によつてすでに促される事でもあるが、又特に、「永遠」の觀念が、後の論述の示すであらう如く、宗教においてはじめてそれの本來の力と深みと豐富さとを發揮し得ることによつて實質的にも要求される。「永遠」は宗教に本來の郷土を有する觀念である。このことによつて「時」乃至「時間性」の取扱ひ方も一定の方向を指し示される。表象の内容をなすだけの又は單なる客觀的存在者として理論的認識の對象をなすだけの永遠は、宗教においては殆ど無用の長物である。このことに應じて、吾々の論究は時乃至時間性に關してもそれの特殊の形に重點を置かねばならぬであらう。これは時と永遠との相互の密なる聯關よりして當然期待される事柄である。すなはち、吾々は體驗の世界に深く探り入つて、吾々自らその中にあり又生きる「時」、即ち生の「時間性」の本來の姿を見究めねばならぬ。
吾々は日常生活においてすでに、世界のすべての事物・存在及び動作を支配する一種の秩序の如きものとして、又それに屬することによつて吾々の認識が萬人に共通なる尺度と法則とを得るものとして、時を表象し理解する。しかしながらかくの如きは決して時の根源的の姿ではない。それは、われわれ自らその中にあつて生きる所のものを、われわれの前に置き外《そと》の世界に投射して客體化したものであつて、すでに反省の作用によつて著しく
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