も重大なる危機に遭遇したことは疑ひの餘地がない。若しここに新たなる天地が開かれぬならば、生は絶望の淵に沈む外に途はないであらう。しかも吾々當面の關心事である永遠性の問題にとつても、解決の成否は一にこの難關を突破し得るか否かに懸かつてゐる。主體の存在を非存在への沒入より救ひ、滅びぬ現在を確保することは、實在的他者との共同に俟つほかはない。かかる他者は果して又いづこにあるであらうか。ここに吾々は宗教への轉向點に立つ(一)。
 宗教的體驗において主體に對して他者として立つもの――通常「神」と名づけられるもの――の最も基本的なる特徴は、宗教自らの言葉を用ゐれば、「神聖性」である。神は侵すべからず近寄るべからざるもの、あらゆる現實的存在、世間的又は世俗的と呼ばれる存在、より全く隔離したるもの、自己を主張しつつそれへと近寄り侵し來りそれをわが内に取入れようとする人間的主體に對しては、本來の極みなき尊嚴と威力とを發揮して惜氣もなくこれを壞滅の中に葬り去るものである。存在論的に言ひ表はせば、それは實在者、主體にとつては實在的他者であり、飽くまでも妥協せず讓歩せず徹頭徹尾實在性他者性に留まる點において、絶對的實在者・絶對的他者である。かくの如きものとして、それは一方、主體に對して可能的自己の性格を保つ觀念的存在者とは異なつて、飽くまでも眞實の他者であり、しかも他方、自然的生における實在的他者が、主體とまつしぐらに相衝突し壞滅をもつて主體を脅かす代りに自らも主體の侵害の危險に晒される、時間性可滅性に委ねられたる他者に過ぎぬとは異なつて、飽くまでも他者性を守り拔き貫き通す實在的他者である。愛の共同の對手としてそれは正に必要條件を充たす如く見える。現に宗教的體驗は最も重要なる内容として神の愛と神への愛とについて語る。ただ問題は絶對的實在者・絶對的他者との共同が果して又いかにして可能であるかに存する(二)。
 この共同が成立つためには神の神聖性、絶對的他者の絶對的他者性實在性、は飽くまでもそれとして貫徹されねばならぬ。このことは何を意味するか。人間的主體が全く無に歸せねばならぬを意味する。自と他との共同は、究極においては何であらうとも、とに角先づ直接性における交はり即ち接觸でなければならぬ。媒介が可能とするも、それはいつも媒介の任に當る直接者の存在を必要とするであらう。しかるにここでは主體と
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