ァ場に置かれたことが一切の誤謬の原因である。持續を體驗する主體は、他者への生に沒頭する本來の態度を置き棄て、自己の姿を自覺の鏡に寫さうとする反省の位置に退いてゐる。認識の方法は直觀といはれてはゐるが、これは抽象的思惟を却けるだけのもので、根源的體驗に比べてはすでに反省の立場に移つてゐる。
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(一) この點に關しては拙著「宗教哲學」及び「宗教哲學序論」の諸處、並びに本書第七章一參看。
(二) Confessiones. XI, 14 seqq.
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        四

 以上述べ來つた時及び時間性の本質的構造よりして吾々は、永遠性との對立及び聯關において觀られる場合特に重要性を發揮する諸の特徴、時間性の形式的特徴ともいふべきもの、を導き出しつつ理解し得るであらう。第一は時の方向である。時の方向は將來より現在を經て過去へ向ふとも、又反對に過去より將來へ向ふとも考へられる。この矛盾は時の觀念の中に伏在する問題を示唆するとしての意義はあらうが(一)、その問題は、後の論述の明かにするであらう如く、時間性の異なつた段階を區別することによつてのみ解決を見る。自然的體驗的時間即ち時間性の最も基本的根源的姿においては、方向は將來より過去へと向ふ。しかもこの方向は斷然動かし得ぬものである。過去になつたものは無に歸したものである。單純率直なる非存在である。無くなつたものは取返へしのつかぬもの、主體の處理の手の屆きかねるもの、この意味において絶對的なるものである。昔を今になる由もないのが時の本然の姿である。ここに時の「不可逆性」(Unumkehrbarkeit)は成立つ。要するに有より無へ存在より非存在へ向ふのが時の最も根源的方向時間性の最も本質的性格である。
 次に、時間性は無常性と可滅性とを意味する。時と時における存在とは、絶え間なき流動推移の中に有より無への方向を取りつつ、息みもせず振返へりもせず、ひたすらまつしぐらに壞滅の道を進む。以上と聯關して第三に、時間性は斷片性不完成性を意味する。時間的存在はいつも滅びつつある從つていつも缺乏に陷りつつある存在である。現在において主體は自己の存在を所有はするが、その所有は直ちに喪失であり、その存在はいつまでも確保されるに至らない。いつも完きを得ずいつも自己の所有に達せずいつも斷片的なのが時の本質
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