て特に力強き原理的主張を見特に顯著なる術語的理論的表現を遂げたが、實質的にはいづこの世界にも見られ得るもの、日常の生においても、すべての人倫的共同に眞の生命を與へつつ、この世ならぬかなたの世界の閃きを示すものである。エロースは自己實現の性格を擔ふ生の共同である。故に若し、不可能なる極限の場合ながら、この性格が徹底化を見たと假定すれば、主體は他者を完全に自己のうちに取入れ完全に克服することによつて自己を無際限に擴張するであらう。その際「現在」は完全に一切を支配し盡す故、全き永遠はわれの所有に歸するであらう。無限者と合一し一切の存在をわが懷に抱いた我は全身をもつて窮みなき歡喜と幸福とに浸るであらう。しかしながらかくの如きは、すでに論じた所で明かである如く、身の程知らぬ文化的人間的主體の誇大妄想に過ぎず、エロースの完全なる成功は取りも直さずそれの完全なる失敗に外ならぬのである。しかるに之とは根本的に異なつて、アガペーは正反對の方向を取る。それは他者より發して自己へと向ふ。それは他者を原理とし出發點とする生の共同である。他者を主となし自己を從となすこと、他者を規定者自己を被規定者となすこと、はそれの基本的特徴である。この愛が志す所を成遂げ本來の性格を徹底せしめたならば、自己は無に歸して他者のみ有る生の共同が成立つであらう。このことは自己實現を本質とする現實の人間的主體にとつては勿論不可能の事である。現實の人倫關係は原則的にはエロースとして成立つてをり又しかせねばならぬのである。アガペーの本質には超越性がはじめより宿つてゐる。しからばそれはエロースの如く本來の不可能事を要求するだけのものであらうか。或は却つてこれこそ眞實の愛であり、エロースはこれによつて活かされることによつて、否むしろこれによつて克服され止揚されこれのうちに死し葬り入れられることによつて、はじめて愛として甦へり自と他との共同として成立ち得るのではなからうか。
 吾々は先づ少しく立入つてアガペーの諸特徴を考察しよう。人間の現實的生は自然的生の土臺に築かれたる文化的生としてのみ成立つ故、エロースの性格を全く離脱したる純粹の單獨のアガペーといふが如きものはもとより現實的には見るを得ぬ事柄であるが、後者の出現は前者に一定の特色と傾向とを與へることによつてそれと知られる。人と人との愛を、あらゆる人倫關係を離れ從つてそれ
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