してある。進まうとすれば何ものかへ進み、伸びようとすればどこかへ伸びる。吾々はこの現實の事態より抽象して單純にひたすらに外へと伸びる力だけを表象することは出來る。しかしながら、かくの如き力がそれ自體に實在すると、言ひ換へれば、かくの如くただ徒らに當てもなくいはば眞空へと伸び擴がる力に主體の本質が存すると、考へるならば、それは空想を現實として押賣りしようとするにも等しいであらう。今對手なき、他者との交渉を離れたる絶對的主體といふ觀念が、それ自身矛盾なしに成立ち得ると假定すれば、それはそれを客觀的事態として眞理として表象し承認し主張する主體の存在を俟つて、すなはち客體的他者としての存在を保つことによつて、はじめて可能であるといふことを、吾々は特に銘記すべきである。主體性從つて實在性の兩面性――即ち一方自己主張であるものが他方他者との關係交渉であること、他者への生としてのみ自己の存在への存在が成立つこと――ここに生の最も根本的なる問題が宿つてゐる。時間性と永遠性との問題もここに胚胎する。
吾々は今、すでに論述した所に基づいて、愛及び共同の觀點よりして、生の諸段階の特質に關し考察を進めよう。一切の根源に位し生のあらゆる形態を支へる基礎的層は自然的生である。それは主體と實在的他者との直接的交渉において成立つ。他者との交渉があり從つて接觸がある限り、相共にする何ものかがなければならぬ。現に主體は他者を離れて單獨に孤立しては存立し得ぬのである。ここに共同に類する或る關係が存在するはいふまでもない。自然的生がすべての生の基礎をなすことを思へば、この關係はすべての共同の基礎をなすといひ得るであらう。しかるに他方より觀れば、この關係こそむしろすべての共同の破壞の口火なのである。直接性において他者と交はる主體、他者に對してただまつしぐらに自己を主張する主體にとつては、他者は障碍と反抗とを意味する外はない。從つて自己主張の成就は他者の滅亡を意味せねばならぬであらう。逆にまた、他者が飽くまでも他者として存立する以上――この存立は主體そのものの存立の必要條件である――他者との交はりは主體にとつては壓迫侵害であり、自己の存在の亡失であるであらう。そこまで徹底を求めぬとしても、自然的生における他者との直接的交渉は、純粹に外面的なる單純に對他的なる關係である。吾々は根源的空間性をここに見出した(一
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