康などを問題にするほど頭の下等な人ではないことを信じている。ドストエフスキーは癲癇《てんかん》と痔と肺病をもっていたのである。そのうち、呼ばれたので私は暗室の中へはいった。学校を出たばかりと思われる若い医者は、
「どうしたのですか」とまだ私が椅子《いす》にもつかないうちにいった。
「いや、ちょっと充血したものですから」
「そう。どれどれ。ふうむ、大分使い過ぎましたね」瞼をひっくり返し、レンズをかざして覗《のぞ》き込みながらいった。「少し休むんですね。疲れていますよ」
私は洗眼をしてもらい、眼薬をさしてもらって外へ出た。出がけに医者は白いガーゼと眼帯をくれた。私はその足ですぐ受付により、硼酸水と罨法《あんぽう》鍋とを交付してもらって帰った。
私は生まれて初めての眼帯を掛けると、友だちを巡って訪ねた。
誰でもこの病院へ来たばかりのころは、周囲の者がみなどこか一ヶ所は繃帯を巻いているので、自分に繃帯のないことがなんとなく肩身の狭いような感じがして、たいして神経痛もしないのにぐるぐると腕に巻いてみたり足に巻いてみたりして得意になる。奇妙なところで肩身が狭くなるものだ。まるきり院外にいたころとは反対である。私が友だちのところを巡ったのも幾分そんな気持に似たところがあった。眼帯など掛けたことのない俺が掛けているのを見ると、みんなびっくりしたり、珍しがったりして色々のことを訊くに違いない――と。たあいもないことであるが、我ながら眼帯を掛けた自分の姿が珍しかったのだ。
友人たちは案の条珍しがって色々のことを訊いた。
「おい、どうしたい。眼帯なんか掛けて、ははあまた雨を降らせるつもりだな」
「うん? 充血した。そいつあいけない。大事にしろよ。盲目になるから」
「はははは、いい修業さ」「そろそろいかれ[#「いかれ」に傍点]始めたかな。もうそうなりゃしめたもんだ。確実に盲目《めくら》になるからな。今のうちに杖の用意をしとくんだなあ。俺、不自由舎に識り合いがあるから一本貰って来てやっても良いよ」
みんなはそんな風なことをいって、私をおどかしたり笑ったりした。私はわざと大げさに悲観している風を見せたり、盲目、そんなもの平気だ、と大きなことをいったりした。しかし内心やはり憂鬱で不安でならなかった。そして片眼を覆うということがいかに不快極まるものであるかを思い知らされたの
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北条 民雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング