自分が発見したことのように思った。それは吸入器を眼にかけて洗眼と罨法を同時に行なうのである。
Tは私よりずっと眼は悪く、片方はほとんど見えないし、良く見えるという方も、もう黒いぶつぶつが[#「ぶつぶつが」に傍点]飛び廻って見え、盲目になるのも決して遠いことではないと自覚し、覚悟しているほどである。だから眼のことになると私なんかより十倍もくわしい。だからこの男の前では私は、羞ずかしくて自分の眼のことなどいわれた義理でないのであるが、しかし、私の最も親しい友人であるし、彼もまた私を心配して、
「俺、毎日、夕方吸入かけてるんだが、君もかけてみないか」とすすめてくれた。
タンクの水がくらくらと煮立ち、やがてしゅっと噴き出した霧の前に坐ると、私はひどく気味が悪くなって来た。
「おい、煮え湯が霧にならないで、かたまったまま飛び出してくるようなことはないかい。気味が悪いなあ」
「そりや、無いとはいえんよ。そうなったら盲目になりゃいいさ」
「おいおい、ほんとか」
笑っているので、私は安心して霧の中に貌をつっ込んだ。
「はははは。鼻にばかり霧は吹きつけてるじゃないか、そうそう、もうちょっと下だ、よし。眼を開けてなきゃ駄目だ、そう、かっと開けてるんだ、目玉を少々動かして――」
私は彼のいうとおりにし、思いきって眼を開き、目玉を動かせた。貌一面に吹きつけて来る噴霧は、冷えびえとした感触で皮膚を柔らげ、鼻の先からはぽつんぽつんと雫《しずく》がしたたり、顎の下へ流れ込んだ。良い気持だった。すると彼は急に腹をかかえて笑い出した。なんだい、と訊《き》くと、
「うははは。なんだいそのだらしのない恰好は。水っ鼻を垂《た》らして、涎《よだれ》をだらだら垂らして、うはははまるで泣きべそかいた子供より見っともないぞ」
「ちえ。俺は良い気持さ」
やがて適量の硼酸水を終わると、私は手拭《てぬぐい》で貌を拭《ふ》いた。さっぱりとした気持だ。四、五日こうしたことを続けているうち、私の充血はすっかり消えた。
「しかし吸入なんかかけても、やがて効かなくなるよ。だがまあ君の眼ならここ五年や六年で盲目になるようなことはないよ」
「五年や六年でか」私はあまりに短いと思われたのだ。
「今のうちに書きたいことは書いとけよ」
彼は真面目な調子でいった。私は黙ったまま頷《うなず》いた。
(昭和十一年
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