ゝえ大した雨でもございません、どうと来るようで又あがりそうでございますよ」
永「そうかえ、檀家の者も来ぬから一人で一杯遣って居たのよ、おゝ着物がもう出来《でけ》たか、好《よ》う出来た」
梅「お着悪《きにく》うございましょうが……お着悪ければ又縫直しますから召して御覧なさいまし」
永「好う出来《でけ》た、一盃|酌《つ》いで呉れんかえ、何《なん》ぼう坊主でも酒の酌《しゃく》は女子《おなご》が宜《え》え、妙なものだ、出家になっても女子は断念出来ぬが、何うも自然に有るもので、出家しても諦められぬと云うが、女子は何うも妙に感じが違う」
梅「旨いことを仰しゃること、あなた此の間の松魚節味噌《かつおぶしみそ》ね、あれは知れませんから又|※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》て来ましょう」
永「あれか、旨かった、あれ宜《え》えのう……一盃遣りなさい」
 と一盃飲んでお梅に献《さ》す、お梅が飲んで和尚に献す。その中《うち》酒の酔《えい》が廻って来まして、
永「眞達は帰りませんわ、大門《だいもん》まで遣ったが、お梅はんお前もまア一昨年から前町へ来て、彼《あ》のようにまア夫婦暮しで宜《よ》く稼ぎなさるが、七兵衞さんは以前《もと》大家の人ですが、運悪く田舎へ来てなア気の毒じゃ、なれど此の高岡は家数《やかず》も八千軒もある処で、良い船着《ふなつき》の処《とこ》じゃが、けれども江戸御府内にいた者は何処《どこ》へ行っても自由の足りぬものじゃ、さぞ不自由は察しますぞよ……お梅はん私《わし》をお前忘れたかえ、覚えて居まいのう」

        十六

梅「はい覚えてと仰しゃるは」
永「私《わし》の顔を忘れたかえ、十三年も逢わぬからなア」
梅「そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃいましたことが有るの」
永「お前は以前《もと》根津の増田屋の小増という女郎《じょうろ》だね」
梅「あれ不思議な、旦那|何《ど》うして知れますの」
永「何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年|前《あと》、九月の月末《つきずえ》からお前の処へ私《わし》も足を近く通った、私は水司又市だが忘れたかえ」
梅「おやまア何うも、旦那|然《そ》う仰しゃれば覚えて居ますよ、だけれどもお髪《ぐし》が変ったから些《ちっ》とも分りませんよ……何うもねえ」
永「何うもたって私《わし》は忘れはせんぜ、お前|此処《こゝ》へ来ると直《す》ぐ知れた、若いうち惚れたから知れるも道理、私は頭ア剃《そり》こかして此の宗慈寺へ直って、住職して最《も》う九年じゃアが、斯《こ》うなってから今まで女子《おなご》は勿論|腥《なまぐさ》い物も食わぬも皆お前故じゃア」
梅「私ゆえとは」
永「忘れやアしまい、お前が斯様《かよう》じゃア、榊原藩の中根善之進は間夫《ふかま》じゃアからと云うて、金を私《わし》の膝へ叩き付けてな忘れやアしまい」
梅「あれ昔の事を云っては困りますね、年の往《い》かない中《うち》は下《くだ》らないもので、女郎《じょろう》子供とは宜《よ》く云ったもので、冥利《みょうり》が悪いことで、その冥利で今は斯うやって斯う云う処へ来て、貧乏の世帯《しょたい》にわく/\するも昔の罰《ばち》と思って居りますよ」
永「丁度あのそれ忘れやアせんで、あの時叩付けられたばかりでない、大勢で悪口《あっこう》云われ、田舎武士と云って、手前などが女子《おなご》を買っても惚れられようと思うは押《おし》が強いなどと云って、重役の権《けん》を振《ふる》って中根が打擲《ちょうちゃく》して、扇子の要《かなめ》でな面部を打割られたを残念と思って、私《わし》は七軒町の曲角《まがりかど》で待伏《まちぶせ》して、あの朝善之進を一刀に切ったのは私じゃアぜ」
梅「あれまアどうも」
永「宜《よ》えか、斯《こ》う打明けた話じゃが切ってしまって眼が醒《さ》めて、あゝ飛んだ事をしたと思ったがもう為《し》てしまい是非がない、とても屋敷には居《い》られない、外《ほか》に知己《しるべ》がないから風《ふ》っと思い付き、此処《こゝ》に伯父が住職して居るから金まで盗んで高飛《たかとび》し、頭を剃《そっ》こかして改心するから弟子にしてと云うて、成らぬと云うを強《たっ》て頼み、斯う遣《や》って今では住職になって、十三年も衣を着て居るもお前故じゃないか、人を殺したのもお前故じゃ」
梅「何うもねえ、然《そ》うで、何うもねえまア、何うもねえ、元は私が悪いばかりで中根さんも然ういう事になり、罪作りを仕ましたねえ」
永「七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前故だ、是まで出家を遂《と》げても、お前を見て私《わし》は煩悩が発《おこ》って出家は遂げられませんぜ」
梅「お前さん……あれ、何をなさる、いけませんよ、眞達さんが帰るといけません、あれ」
永「私《わし》ももう隠居しても
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