たかべい》が有りまして、九尺《くしゃく》の所に内玄関《ないげんかん》と称《とな》えまする所があります。実に立派な構えで、何一つ不自由なく栄燿栄華《えいようえいが》は仕ほうだいでございます。それには引換え清水助右衞門の忰《せがれ》重二郎は、母|諸共《もろとも》に千住《せんじゅ》へ引移りまして、掃部宿《かもんじゅく》で少し許《ばか》りの商法を開《ひら》きました所が、間《ま》が悪くなりますと何をやっても損をいたしますもので、彼《あれ》をやって損をしたからと云って、今度は是《こ》れをやると又損をして、遂《つい》に資本《しほん》を失《なく》すような始末で、仕方がないから店をしまって、八丁堀亀島町《はっちょうぼりかめじまちょう》三十番地に裏屋住《うらやずま》いをいたして居りますと、母が心配して眼病を煩《わずら》いまして難渋《なんじゅう》をいたしますから、屋敷に上げてあった姉を呼戻し、内職をして居りましたが、其の前年《まえのとし》の三月から母の眼がばったりと見えなくなりましたゆえ、姉はもう内職をしないで、母の介抱ばかりして居ります。重二郎は其の時廿三歳でございますが、お坊さん育ちで人が良うございますから智慧《ちえ》も出ず、車を挽《ひ》くより外《ほか》に何も仕方がないと、辻へ出てお安く参りましょうと云って稼いで居りましたが、何分にも思わしき稼ぎも出来ず、遂《つい》に車の歯代《はだい》が溜《たま》って車も挽けず、自分は姉と両人で、二日《ふつか》の間は粥《かゆ》ばかり食べて母を養い、孝行を尽《つく》し介抱いたして居りましたが、最《も》う世間へ無心に行《ゆ》く所もありませんし、何《ど》うしたら宜《よろ》しかろうと云うと、人の噂に春見丈助は直《じ》き近所の川口町にいて、大《たい》した身代に成ったという事を聞きましたから、元々|馴染《なじみ》の事ゆえ、今の難渋を話して泣付《なきつ》いたならば、五円や十円は恵んで呉れるだろうというので、姉と相談の上重二郎が春見の所へ参りましたが、家の構えが立派ですから、表からは憶《おく》して入れません。横の方へ廻ると栂《つが》の面取格子《めんとりごうし》が締《しま》って居りますから、怖々《こわ/″\》格子を開けると、車が付いて居りますから、がら/\/\と音がします。驚きながら四辺《あたり》を見ますと、結構な木口《きぐち》の新築で、自分の姿《なり》を見ると、単物
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