えば仔細は無かったのだが、此の三千円の金が有ったなら、元の如く身代も直り、家も立往《たちゆ》くだろう、又娘にも難儀を掛けまいと、むら/\と起りました悪心から致して、有合《ありあ》う定木《じょうぎ》をもって清水助右衞門を打殺《うちころ》す。側にいた井生森又作は、そのどさくさ紛《まぎ》れに右三千円の預り証書を窃取《ぬすみと》るというお話は、前日お聞きになりました所でござりますが、此の騒ぎを三畳の小座敷で聞いて居りましたのは、当年十二歳に相成るおいさと云う孝行な娘でございますから、お父様《とっさま》は情《なさけ》ない事をなさる、と発明な性質ゆえ、袖を噛んで泣き倒れて居ります。春見は人が来てはならんと、助右衞門の死骸を蔵へ運び、葛籠《つゞら》の中へ入れ、血《のり》の漏《も》らんように薦《こも》で巻き、すっぱり旅荷のように拵《こしら》え、木札《きふだ》を附け、宜《い》い加減の名前を書き、井生森に向い。
丈「金子を三百円やるから、どうか此の死骸を片附ける工風《くふう》はあるまいか」
又「おっと心得た、僕の縁類《えんるい》が佐野《さの》にあるから、佐野へ持って往って、山の中の谷川へ棄てるか、又は無住《むじゅう》の寺へでも埋めれば人に知れる気遣《きづかい》はないから心配したもうな」
 と三百円の金を請取《うけと》り、前に春見から返して貰った百円の金もあるので、又作は急に大尽《だいじん》に成りましたから、心勇んで其の死骸を担《かつ》ぎ出し、荷足船《にたりぶね》に載せ、深川扇橋《ふかがわおうぎばし》から猿田船《やえんだぶね》の出る時分でございますから、此の船に載せて送る積りで持って往《ゆ》きました。扨《さて》お話二つに分れまして、春見丈助は三千円の金が急に入りましたから、借財方《しゃくざいかた》の目鼻を附け、奉公人を増し、質入物《しちいれもの》を受け出し、段々景気が直って来ましたから、お客も有りますような事で、どんどと十月から十二月まで栄えて居りました。此方《こちら》は前橋竪町の清水助右衞門の忰《せがれ》重二郎や女房は、助右衞門の帰りの遅きを案じ、何時《いつ》まで待っても郵便一つ参りませんので、母は重二郎に申付《もうしつ》け、お父様《とっさま》の様子を見て来いと云うので、今年十七歳になる重二郎が親父《おやじ》を案じて東京へ出てまいり、神田佐久間町の春見丈助の門口《かどぐち》へ来ますと、
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