難うと御主命でね、長く居る気はありません、貴方も真《ほん》の当座の腰掛でいらっしゃるが口に出せんでも心中に在《あ》るね、内祝言《ないしゅうげん》は済んでも別に貴方の披露《ひろめ》もなし披露をなさる訳もない、貴方も故郷《こきょう》懐しゅうございましょう、故郷忘じ難し、御府内で生れた者はねえ、然《そ》うではございませんかね」
 隅「それはお前江戸で生れた者は江戸の結構は知っているから、江戸は見度《みた》いし懐かしいわね」
 富「有難い、其のお言葉で私《わたくし》はすっかり安心してしまった、それがなければ詰らんで、ねえ武士《さむらい》の娘、それそこが武士の娘、手前ども少禄者《しょうろくもの》だけれども、此処《こゝ》にへえつくしているが世が世なればという訳だが…お母様はまだ…法蔵寺様へお参りに入《いら》しったので…ですがねえ貴方、此家《こゝ》にこう遣って腰掛けで居るは富五郎心得ております、故郷は忘じ難し、江戸は懐かしゅうございましょう」
 隅「あいよ、懐かしいは当然《あたりまえ》だわね」

        六十一

 富「ド何《ど》うも有難い、それさえ聞けば私《わたくし》は安心致すが、誰でも然《そ》うで私も早く江戸へ行《ゆ》き度《た》いが、マアお隅さん私が少し道楽をして出まして、親類もあるけれども、私が道楽を行《や》ったから私の身の上が定まらんでは世話は出来ぬというので、女房でも持って、斯《こ》ういう女と夫婦になったと身の上が定まれば、御家人《ごけにん》の株位は買ってくれる親類もあるが、詰らん女を連れて行っては親類では得心しませんが、是はこう/\いう武士《さむらい》の娘、こういう身柄で今は零落《おちぶれ》て斯う、心底《しんてい》も是々というので、私が貴方の様なる方と一緒に行って何《なん》すれば親類でも得心致します、お前さんの御心底から器量は好《よ》し、こういう人を見立てゝ来る様になったら富五郎も心底は定まった、然うなれば力になって遣《や》ろうというので、名主株位買ってくれますよ、構わずズーッと」
 隅「何処《どこ》へ」
 富「何処って、だが、貴方ア腰掛で居る、故郷は何《ど》うしても懐かしゅうございましょう」
 隅「何《なん》だか分りません、一つ言《こと》をいって故郷の懐かしい事は知れて居ります」
 富「まア、宜しい、それを聞けば宜しい一寸/\」
 隅「何《なん》だよ」
 富「いゝじゃアありませんか二人でズーッと」
 隅「いけないよ、其様《そん》な事をして」
 富「それ、然《そ》ういうお堅いから二人で夫婦養子にどんな処へでも可《か》なり高《たか》のある処へ行けます、お隅さん」
 と何《なん》と心得違いしたか富五郎、無闇にお隅の手を取って髯《ひげ》だらけの顔を押付ける処へ、母が帰って来て、此の体《てい》を見て驚きましたから、傍《そば》にある麁朶《そだ》を取って突然《いきなり》ポンと撲《ぶ》った。
 富「これは痛い」
 母「呆れかえった奴だ」
 隅「よくお帰りでございまして」
 母「今|帰《けえ》って来たゞが、彼《あ》の野郎ふざけ廻りやアがって、富五郎|茲《こゝ》へ出ろ」
 富「ヘエ、これは恐入りました、どうも些《ちっ》ともお帰りを知らんで、前後忘却致し、どうも何《なん》とも誠にどうも、何《なん》で御打擲《ごちょうちゃく》ですか薩張《さっぱり》分りません」
 母「今見ていれば何《なん》だお隅にあの挙動《まね》は何だ、えゝ、厭がる者を無理にかじり付いて、髯だらけの面《つら》を擦《こす》り付けて、お隅をどうしようというだ、お隅は何《なん》だえ、惣次郎の女房という事を知らずにいるか、汝《われ》知っているか、返答ぶて」
 富「どうも、私《わたくし》前後忘却致し、酔っておりまして、はっというとお隅さんで、恐入りました、無暗《むやみ》に御打擲で血が出ます」
 母「頭ア打砕《ぶっくだ》いても構わねえだ、汝《われ》恩を忘れたか、此の夏の取付《とりつけ》に瓜畑へ這入《へえ》って瓜イ盗んで、生埋にされる処を、家《うち》の惣次郎が情け深《ぶけ》えから助けて、行《ゆ》く処もねえ者に羽織イ着せたり、袴《はかま》ア穿かして、脇へ出ても富さん/\といわれるは誰がお蔭か、皆《みんな》惣次郎が情深《なさけぶけ》えからだ、それを惣次郎の女房に対して調戯《からか》って縋付《すがりつ》いて、まア何《なん》とも呆れて物ういわれねえ、義理も恩も知らねえ、幾ら酔《よっ》ぱらったって親の腹へ乗る者ア無《ね》えぞ呆れた、酒は飲むなよ好《よ》くねえ酒癖だから廃《よ》せというに聴かねえで酔ぱらっては帰《けえ》って来《き》やアがって、只《たっ》た今|逐出《おいだ》すから出ろえ、怖《おっか》ねえ、お前の様な者ア間違《まちげえ》を出かします、こんな奴は只た今出て行《ゆ》け」
 富「お腹立様では何《な
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