しょうか。花里花魁は何うした縁でございますか、あの明烏《あけがらす》の文句の通り彼《か》の人に逢うた初手から可愛さが身にしみ/″\と惚れぬいて解けて悔しき鬢《びん》の髪などと、申すような逆上《のぼ》せ方でげす。伊之吉とて同じ思いで三日にあげず通っている。すると茲《こゝ》に一つの難儀が持ちあがりました。と申すは花里を身請しようというお客が付いたんで、全体なら喜んで二つ返事をする筈であるが、そこが何うもそうすることが出来ない。伊之吉という可愛い情人《おとこ》があって、写真まで取かわせてある、その写真は延喜棚《えんぎだな》にかざって顔を見ていぬときは、何事をおいても時分時になると屹度《きっと》蔭膳《かげぜん》をすえ、自分の商売繁昌よりは情人の無事|息才《そくさい》で災難をのがれますようにと祈っているほどで、泥水から足をあらって素人になるを些《ちっ》とも嬉しく思いません。身請ばなしが始まりましてから花里は欝《ふさ》ぎ切って元気がない、只だ伊之吉が来ると何かひそ/\話をするばかり、それも廊下の跫音《あしおと》にも気をおいて居ます。その身請|為《し》ようという客は、欧米を航海して無事に此のごろ帰朝されました、軍艦|芳野《よしの》の乗組員で少しは巾のきくお方、お名前は判然と申し上げるも憚《はゞか》りますから、仮に海上渡《うながみわたる》と申しあげて置きます、此のお方がまだ芳野へお乗《のり》こみにならぬ前、磐城《いわき》と申す軍艦にお在《いで》あそばし品川に碇泊《ていはく》なされまする折、和国楼で一夜の愉快を尽《つく》されましたときに出たのが花里で、品川では軍艦《ふね》の方が大のお花客《とくい》でげすから、花里もその頃はまだ出たてゞはございますし、人々から注意をうけて疎《おろそ》かならぬ※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、505−10]待《もてなし》をいたしたので、海上も始終《しょっちゅう》通って居《お》られましたが、その後《ご》芳野へお移りになって外国航海と相成りしに後髪《うしろがみ》をひかれる気はいたすものゝ、堂々たる軍人にして一婦人《いっぷじん》の為に肘《ひじ》をひかるゝは同僚の手前も面目なしとあって、綺麗に別盃《べっぱい》をお汲みなされ、後朝《きぬ/″\》のおわかれに、
 海「それでは僕は今日四時には出帆《しゅっぱん》して洋航するからね、お前も
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