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と後《あと》は涙に物云わせ、暫《しば》し文治の顔を見詰めて居りますと、文治も堪《こら》え兼て熱い涙を流しながら、お町の手を握って引寄せますると、足もとから長さ三尺にも余ります蛇《くちなわ》がのたりを打ってずる/\/\。お町は驚いて、「あれッ」と夫に凭《もた》れかゝりますと、
文「町や、こんな事は毎日の事じゃ、何《ど》うも致しはせぬ、お町々々」
と呼べども答えはございませぬ。文治は眼をこすりながら、
文「えゝ、また夢か、馬鹿々々しい」
総身の汗を拭いまして、
文「もう夜《よ》が明けたのか、誠や聖人に夢なしとか、心の清らかなる人に夢のあるべき筈はない、我は夜《よる》となく昼となく夢現《ゆめうつゝ》に心を痛め、さながら五臓を掻きむしらるゝの思い、武士の家に生れながら腑甲斐《ふがい》なし」
と我と我が心に愧《は》じて、焚火の辺《ほとり》にてほッと息を吐《つ》く折しもあれ、怪しや弦音《げんおん》高く一枝《いっし》の征矢は羽呻《はうな》りをなして、文治が顔のあたりを掠《かす》めて、向うの立木《たちき》に刺さりました。
文「やア今の夢といい、また矢の飛び来《きた》りしは此の身の助かる前兆か知らん、此の身が彼《あ》のまゝ寝ていたら、或は此の矢のためにあたら命を失ったかも知れぬ、妻の夢のため眼を覚せしところを見れば、定めしお町が八百万《やおよろず》の神々に此の身の無難を祈っているのであろう、あゝ辱《かたじけ》ない」
人情の常として、何《なん》に付けても思い出すのは女房子でございます。
文「あゝ危《あぶな》かった」
と思う間もなく、また二の矢がブウンと羽響きをなして飛んで来ました。文治はハッと身を拈《ひね》り、矢の来た辺《あたり》へ眼を付けて、
文「やア/\拙者は決して怪しい者ではないぞ、漂流いたして難儀の者、助けたまえ」
と声を限りに手を合せて助けを乞いましたが、弓取る人は、聾《つんぼ》か但《たゞ》しは言葉の通ぜぬためか、何程手を合わして頼み入っても肯入《きゝい》れず、又も飛び来る矢勢《やせい》鋭く、殊《こと》に矢頃近くなりましたから、憫《あわ》れむべし、文治は胸のあたりを射通されて其の儘打倒れました。
三十四
文治は図らずも二の矢を射られて倒れたまゝ、身動きもせず様子を窺《うかゞ》って居りますると、弓を提《さ》げたる島人《しまびと》が、小石を
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