が、私《わし》が重役と中の悪い処から此の様に浪人致し、お前は何も知らない身分で、住み馴れぬ裏家住居、私《わし》に内証《ないしょう》で肌着《はだぎ》までも売ったようだが、腹の空《へ》った顔も見せず、孝行を尽して呉れるに、なんたる因果のことか、此の貧乏の中へ眼病とは実に神仏《かみほとけ》にも見放されたことかと、唯《たゞ》私《わし》の困る事よりお前に気の毒でならない」
 町「あゝお父様勿体ないことを仰しゃって下さいますな」
 庄「まア/\そんなことを云うな、清貧と云って清らかな貧乏は宜しいが、汚《けが》れた金を以《もっ》て金持と云われても詰らん、あゝ清貧と云えば昨夜天神の前でお前が癪の起った時、御介抱なすって下すった御仁は御親切な方だなア」
 町「お父様、其のお方は実に御親切な方でございます、業平橋に在《い》らっしゃる文治郎様と仰しゃいます方だそうですが、私《わたくし》がお父様の御眼病の事をお話し申しました処が、そういう訳ならこれを持って行《ゆ》けと仰しゃってお金をお出し遊ばしまして」
 庄「そうだってのう、見ず知らずの者に四十金を恵むと云うのは感心な方だのう」
 町「其の方は屹度《きっと》今日|家《うち》へ入《いら》っしゃいますよ」
 庄「来られちゃア困るなア、そんな方が入らしっては実に赤面だ」
 町「それでも屹度来ますよ」
 庄「困るなアお茶でも入れて上げな」
 町「お茶はございませんよ」
 庄「それではお菓子でも」
 町「お菓子は昨夜《ゆうべ》戴いたのを貴方《あなた》が三つあがって、あとは仏様に上げてありますから、あれを上げましょうか」
 庄「それでも戴いたものを又上げるのは変だのう」
 町「あれ入っしゃいましたよ」
 庄「文治郎様が入っしゃいましたと」
 町「なアにそうじゃアございませんでした、秋田穗庵さまが入しったのでした」
 庄「まア此方《こっち》へお上りなさい」
 秋「はい今日《こんち》は番町《ばんちょう》辺《へん》に病人があって参り、帰りがけですが貴方のお眼は何《ど》うでございますな」
 庄「些《ち》っとも癒《なお》りません、少しも顕《げん》が見えません、どうもいけませんから、これじゃア薬も止《や》めようかと思って居ります」
 秋「それがナ貴君《あなた》のお眼は外障眼《がいしょうがん》と違い内障眼《ないしょうがん》と云って治《じ》し難《がた》い症ですから真珠《しんじゅ》、麝香《じゃこう》、竜脳《りゅうのう》、真砂《しんしゃ》右|四味《しみ》を細末にして、これを蜂蜜《はちみつ》で練って付ける、これが宜しいが、真珠は高金《こうきん》だから僕のような貧乏医者は買って上げる訳にいかん、それに就いて兼《かね》て申上げました此方《こちら》のお娘子《むすめご》がお美しいと云うことを、北割下水《きたわりげすい》の大伴《おおとも》と云う剣客《けんかく》へ話した処が、是非世話をしたいから話しをして呉れと云うから、先日貴方へ申上げた事がありますが、お堅いからお聞済《きゝずみ》がないが、時世で仕方がないから、諦めて貴方が諾《うん》と云えば僕が先方へ参って話をすれば、お目薬料ぐらいは直《じき》に出ますからそうなさいな」
 庄「いゝえ、そんな話は止《や》めて呉れ、お前が来るとそんな事ばかり云うが、私《わし》には一人の娘を妾《めかけ》手掛《てかけ》に遣るくらいなら裏家住居はしません、そんな話をされると耳が汚《けが》れるから止して呉れ」
 秋「貴君《あなた》はお堅いがね小野|氏《うじ》、僕もいろ/\丹誠して癒らんければ名にも係《かゝわ》るから、お厭《いや》でもお娘子をお遣《つか》わしになれば、目薬料が出て御全快になって、而《しこう》して後《のち》のことでございます」
 庄「いや眼は盲《つぶ》れても宜しい、お前さんの薬はもう呑まないよ」
 秋「それじゃア無理には申さんから宜しいが、お嬢さま、お父様《とっさま》はあの通りお聞入れはないが、私《わたくし》の帰った後《あと》で能くお父様と御相談なさいよ、お父様がいやと仰しゃっても貴女《あなた》がおいでなさると云えば、お父様のお眼も癒るから、いやでも承知しなければなりません、何《いず》れ又出ますよ、左様なら」
 庄「いやな奴だ、来ると彼奴《あいつ》あんなことばかり云っている、医者が下手だから桂庵《けいあん》をしているのだろう」
 と云っている処へ参りましたのは、藍《あい》の衣服《きもの》に茶献上の帯をしめ、年齢は廿五歳で、実に美しい男で、門《かど》へ立ちまして、
 文「御免なさい」
 町「お父様《とっさま》入っしゃいましたよ」
 庄「誰方《どなた》かえ」
 町「文治郎様が」
 庄「さア何卒《どうぞ》これへお上り遊ばしませ」
 文「昨夜はどうも、これはお礼で恐れ入ります、貴女《あなた》が御無事でお帰りかと後《あ
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