たことはない、どうも強いねえ」
 亥「私《わっち》も旦那のような強い人に出会ったことはねえ、初めてだ」
 文「見張所の鉄砲を持ち出したのはえらい」
 亥「どうも面目もございません、旦那は喧嘩の相手を憎いとも思わず、私《わっち》の爺《ちゃん》の所へ金を十両持って来てくれたそうで、随分牢へは差入物をよこす人もあるが、爺の所へ見舞《みめえ》に来て下すったはお前《めえ》さんばかりで、私《わっち》のような乱暴な人間でも恩を忘れたことはねえから、旦那え、これから出入《でいり》の左官と思って末長く目をかけておくんなせえ、お前《めえ》さんに金を貰ったから有難いのじゃアねえ、お前《めえ》さんの志に感じたからどうか末長く願います」
 と云うので、文治郎が盃を取って亥太郎に献《さ》して、主《しゅう》家来同様の固めの盃を致しましたが、人は助けておきたいもので、後に此の亥太郎が文治の見替りに立ってお奉行と論をすると云うお話でありますが、次回《つぎ》にたっぷり演《の》べましょう。

  八

 業平文治が安永の頃|小笠原島《おがさわらじま》へ漂流致します其の訳は、文治が人殺しの科《とが》で斬罪《ざんざい》になりまする処を、松平右京《まつだいらうきょう》様が御老中《ごろうじゅう》の時分、其の御家来|藤原喜代之助《ふじわらきよのすけ》と云う者を文治が助けました処から、其の藤原に助けられまするので、実に情《なさけ》は人の為ならでと云う通り、人に情はかけたいものでございます。男達《おとこだて》などは智慧もあり又|身代《しんだい》も少しは好《よ》くなければなりませんし無論弱くては出来ませぬが、文治の住居《すまい》は本所業平村の只今植木屋の居ります所であったと云うことでございます。文治の居ります裏に四五軒の長屋があります、此処《こゝ》へ越《こし》て来ましたのは前《ぜん》申上げました右京様の御家来藤原喜代之助で、若気《わかげ》の至りに品川のあけびしのおあさと云う女郎に溺《はま》り、御主人のお手許金《てもときん》を遣《つか》い込み、屋敷を放逐《ほうちく》致され、浪人して暫《しばら》く六間堀《ろっけんぼり》辺に居りました其の中《うち》は、蓄えもあったから何《ど》うやら其の日を送って居りましたが、行《ゆ》き詰って文治の裏長屋へ引越《ひきこ》し、毎日弁当をさげては浅草の田原町《たわらまち》へ内職に参ります。留守は七
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