ありましたから之《こ》れを借受け、造作をして袋物屋の見世を出しました。袋物屋と云うものは店が小さくても金目の物が置けますから好《い》い商売でございます。友之助は荷を脊負出《しょいだ》して出入先を歩く、宅《うち》にはお村が留守居ながら商売が出来ます。お村が十九で友之助が二十六ですから飯事《まゝごと》暮しをするようでございます。其の年も暮れ、翌年になり、安永九年二月の中旬《なかば》に、文治郎の母が成田山《なりたさん》へ参詣に参りますに就《つ》き、おかやと云う実の姪《めい》と清助《せいすけ》と云う近所の使早間《つかいはやま》をする者を供に連れて出立《しゅったつ》しました。跡には文治郎と森松の両人切《ふたりぎ》りで、男世帯に蛆《うじ》がわくという譬《たとえ》の通り台所なども手廻りませんで、お飯《まんま》を炊くと柔かくってお粥《かゆ》のようなのが出来たり、硬《こわ》くって焦げたのなどが出来たりします。友之助はお村に云い付けて、斯う云う時に御恩を返さなければならん、お前お菜《かず》を拵《こしら》えるのが面倒なら、料理屋から買《かっ》てゞもいゝから毎日何か旦那の所へ持っていってお上げ。と云うので毎日昼頃になると、お村が三組《みつぐみ》の葢物《ふたもの》に色々な物を入れて持って参ります。文治は「お前がそうやって毎日長い橋を渡って持って来るのは気の毒だから来てくれないように」と断っても此方《こちら》は友之助に云い付けられたから、毎日々々雨が降っても風が吹いても吾妻橋を渡って参ります。或日の事文治郎は森松を使《つかい》に出して独りで居りますと、空はどんよりとして、梅も最《も》う散り掛って暖《あった》かい陽気になって来ました。お村の姿《なり》は南部の藍の乱竪縞《らんたつじま》の座敷着[#「着」は底本では「看」と誤記]《ざしきぎ》を平常着《ふだんぎ》に下《おろ》した小袖《こそで》に、翁格子《おきなごうし》と紺繻子《こんじゅす》の腹合せの帯をしめ、髪は達摩返しに結い、散斑[#「斑」は底本では「班」と誤記]《ばらふ》の櫛《くし》に珊瑚珠《さんごじゅ》五分玉《ごぶだま》のついた銀笄《ぎんかん》を挿《さ》し、前垂《まえだれ》がけで、
村「旦那、今日《こんにち》は遅くなりまして」
文「また来たか、誠に心にかけて毎度旨い物を持って来てくれて気の毒だ、商売をしていれば嘸《さぞ》忙《せわ》しかろうから
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