《こうべ》を下げて、頻《しき》りに詫《わ》びても、酔漢《よっぱらい》は耳にも懸けず猛《たけ》り狂って、尚《なお》も中間をなぐり居《お》るを、侍はト見れば家来の藤助だから驚きまして、酔漢に対《むか》い会釈《えしゃく》をなし、
侍「何を家来めが無調法《ぶちょうほう》を致しましたか存じませんが、当人に成り代《かわ》り私《わたくし》がお詫《わび》申上げます、何卒《なにとぞ》御勘弁を」
酔「なに此奴《こいつ》は其の方の家来だと、怪《け》しからん無礼な奴、武士の供をするなら主人の側に小さくなって居《お》るが当然、然《しか》るに何《なん》だ天水桶《てんすいおけ》から三尺も往来へ出しゃばり、通行の妨《さまた》げをして拙者を衝《つ》き当《あた》らせたから、止《や》むを得ず打擲《ちょうちゃく》いたした」
侍「何も弁《わきま》えぬものでございますれば偏《ひとえ》に御勘弁を、手前成り代ってお詫を申上げます」
酔「今この所で手前がよろけた処《とこ》をトーンと衝《つ》き当ったから、犬でもあるかと思えば此の下郎《げろう》めが居て、地べたへ膝を突かせ、見なさる通りこれ此の様に衣類を泥だらけにいたした、無礼な奴だから打擲《ちょうちゃく》致したが如何《いかゞ》致した、拙者《せっしゃ》の存分に致すから此処《こゝ》へお出しなさい」
侍「此の通り何も訳の解《わか》らん者、犬同様のものでございますから、何卒《なにとぞ》御勘弁下されませ」
酔「こりゃ面白い、初めて承《うけたまわ》った、侍が犬の供を召連《めしつ》れて歩くという法はあるまい、犬同様のものなら手前|申受《もうしう》けて帰り、番木鼈《まちん》でも喰わして遣《や》ろう、何程《なにほど》詫びても料簡は成りません、これ家来の無調法を主人が詫《わぶ》るならば、大地《だいじ》へ両手を突き、重々《じゅう/″\》恐れ入ったと首《こうべ》を地《つち》に叩き着けて詫《わび》をするこそ然《しか》るべきに、何《なん》だ片手に刀の鯉口《こいぐち》を切っていながら詫をする抔《など》とは侍の法にあるまい、何だ手前は拙者を斬る気か」
侍「いや是は手前が此の刀屋で買取ろうと存じまして只今|中身《なかご》を鑒《み》て居ました処《ところ》へ此の騒ぎに取敢《とりあ》えず罷出《まかりで》ましたので」
酔「エーイそれは買うとも買わんとも貴方《あなた》の御勝手《ごかって》じゃ」
と罵《のゝし》るを侍は頻《しき》りにその酔狂《すいきょう》を宥《なだ》めて居《い》ると、往来の人々は
「そりゃ喧嘩だ危《あぶな》いぞ」
「なに喧嘩だとえ」
「おゝサ対手《あいて》は侍だ、それは危険《けんのん》だな」
と云うを又一人が
「なんでげすねえ」
「左様さ、刀を買うとか買わないとかの間違だそうです、彼《あ》の酔《よっ》ぱらっている侍が初め刀に価《ね》を附けたが、高くて買われないで居《い》る処《ところ》へ、此方《こちら》の若い侍が又その刀に価を附けた処から酔漢《よっぱらい》は怒《おこ》り出し、己《おれ》の買おうとしたものを己に無沙汰《ぶさた》で価を附けたとか何とかの間違いらしい」
と云えば又一人が、
「なにサ左様《そう》じゃアありませんよ、あれは犬の間違いだアね、己の家《うち》の犬に番木鼈《まちん》を喰わせたから、その代りの犬を渡せ、また番木鼈を喰わせて殺そうとかいうのですが、犬の間違いは昔からよくありますよ、白井權八《しらいごんぱち》なども矢張《やっぱり》犬の喧嘩からあんな騒動に成ったのですからねえ」
と云えば又|傍《そば》に居る人が
「ナニサそんな訳じゃアない、あの二人は叔父《おじ》甥《おい》の間柄で、あの真赤《まっか》に酔払《よっぱら》って居るのは叔父さんで、若い綺麗な人が甥だそうだ、甥が叔父に小遣銭《こづかいせん》を呉れないと云う処からの喧嘩だ」
と云えば、又側にいる人は
「ナーニあれは巾着切《きんちゃくきり》だ」
などと往来の人々は口に任せて種々《いろ/\》の評判を致している中《うち》に、一人の男が申しますは
「あの酔漢《よっぱらい》は丸山本妙寺《まるやまほんみょうじ》中屋敷に住む人で、元は小出《こいで》様の御家来であったが、身持《みもち》が悪く、酒色《しゅしょく》に耽《ふけ》り、折々《おり/\》は抜刀《すっぱぬき》などして人を威《おど》かし乱暴を働いて市中《しちゅう》を横行《おうぎょう》し、或時《あるとき》は料理屋へ上《あが》り込み、十分|酒肴《さけさかな》に腹を肥《ふと》らし勘定は本妙寺中屋敷へ取りに来いと、横柄《おうへい》に喰倒《くいたお》し飲倒《のみたお》して歩く黒川孝藏《くろかわこうぞう》という悪侍《わるざむらい》ですから、年の若い方の人は見込まれて結局《つまり》酒でも買わせられるのでしょうよ」
「左様《そう》ですか、並大抵《なみたいてい》のもの
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