伴「こんな所へ着けて何方《どちら》へ入らっしゃるのですえ、私《わッち》も御一緒に参りましょう」
新「お前は其処《そこ》に待っていなよ」
伴「だってそのための伴藏ではございませんか、お供を致しましょう」
新「野暮《やぼ》だのう、色にはなまじ連れは邪魔よ」
伴「イヨお洒落《しゃれ》でげすね、宜《よ》うがすねえ」
 という途端に岸に船を着けましたから、新三郎は飯島の門の処へまいり、ブル/\慄《ふる》えながらそっと家《うち》の様子を覗《のぞ》き、門が少し明いてるようだから押して見ると明いたから、ずっと中へ這入《はい》り、予《かね》て勝手を知っている事|故《ゆえ》、だん/\と庭伝いに参り、泉水縁《せんすいべり》に赤松の生えてある処から生垣《いけがき》に附いて廻れば、こゝは四畳半にて嬢様のお部屋でございました。お露も同じ思いで、新三郎に別れてから其の事ばかり思い詰め、三月から煩《わずら》って居ります所へ、新三郎は折戸《おりど》の所へ参り、そっとうちの様子を覗《のぞ》き込みますと、うちでは嬢様は新三郎の事ばかり思い続けて、誰《たれ》を見ましても新三郎のように見える処へ、本当の新三郎が来た事ゆえ、ハッと思い
「貴方《あなた》は新三郎さまか」
 と云えば、
新「静かに/\、其の後《ご》は大層に御無沙汰を致しました、鳥渡《ちょっと》お礼に上《あが》るんでございましたが、山本志丈があれぎり参りませんものですから、私《わたくし》一人では何分《なにぶん》間が悪くッて上りませんだった」
露「よくまア入《いら》っしゃいました」
 ともう耻しいことも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取ってお上《あが》り遊ばせと蚊帳《かや》の中へ引きずり込みました。お露は只もう嬉しいのが込み上げて物が云われず、新三郎の膝に両手を突いたなりで、嬉し涙を新三郎の膝にホロリと零《こぼ》しました。これが本当の嬉し涙です。他人の所へ悔《くや》みに行って零す空涙《そらなみだ》とは違います。新三郎ももう是までだ、知れても構わんと心得、蚊帳の中《うち》で互《たがい》に嬉しき枕をかわしました。
露「新三郎さま、是は私《わたくし》の母《かゝ》さまから譲られました大事な香箱《こうばこ》でございます、どうか私の形見と思召《おぼしめ》しお預り下さい」
 と差出《さしだ》すを手に取って見ますと、秋野に虫の象眼入《ぞうがんいり》の結構な品で、お露は此の蓋《ふた》を新三郎に渡し、自分は其の身の方《ほう》を取って互に語り合う所へ、隔《へだ》ての襖《ふすま》をサラリと引き明けて出て来ましたは、おつゆの親御《おやご》飯島平左衞門様でございます。両人は此の体《てい》を見てハッとばかりに恟《びっく》り致しましたが、逃げることもならず、唯うろ/\して居る所へ、平左衞門は雪洞《ぼんぼり》をズッと差《さし》つけ、声を怒《いか》らし。
平「コレ露これへ出ろ、又貴様は何者だ」
新「へい、手前は萩原新三郎と申す粗忽《そこつ》の浪士でございます、誠に相済みません事を致しました」
平「露、手前はヤレ國がどうのこうの云うの、親父《おやじ》がやかましいの、どうか閑静な所へ行《ゆ》きたいのと、さま/″\の事を云うから、此の別荘に置けば、斯様《かよう》なる男を引きずり込み、親の目を掠《かす》めて不義を働きたい為《た》めに閑地《かんち》へ引込《ひきこ》んだのであろう、これ苟《かりそ》めにも天下|御直参《ごじきさん》の娘が、男を引入れるという事がパッと世間に流布《るふ》致せば、飯島は家事不取締《かじふとりしまり》だと云われ家名《かめい》を汚《けが》し、第一御先祖へ対して相済まん、不孝不義の不届《ふとゞき》ものめが、手打《てうち》にするから左様心得ろ」
新「暫《しばら》くお待ち下さい、其のお腹立《はらだち》は重々《じゅう/″\》御尤《ごもっとも》でございますが、お嬢様が私《わたくし》を引きずり込み不義を遊ばしたのではなく、手前が此の二月始めて罷出《まかりい》でまして、お嬢様を唆《そゝの》かしたので、全く手前の罪でお嬢様には少しもお科《とが》はございません、どうぞ嬢様はお助けなすって私を」
露「いゝえ、お父様《とっさま》私《わたくし》が悪いのでございます、どうぞ私をお斬り遊ばして、新三郎様をばお助け下さいまし」
 と互《たがい》に死を争いながら平左衞門の側へ摺寄《すりよ》りますと、平左衞門は剛刀《ごうとう》をスラリと引抜《ひきぬ》き、
「誰彼《たれかれ》と容赦《ようしゃ》はない、不義は同罪、娘から先へ斬る、観念しろ」
 と云いさま片手なぐりにヤッと下《くだ》した腕の冴《さ》え、島田の首がコロリと前へ落ちました時、萩原新三郎はアッとばかりに驚いて前へのめる処を、頬《ほゝ》より腮《あご》へ掛けてズンと切られ、ウーンと云って倒れると。
伴「旦那え/\
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