楽《たのし》みなものはないので、今申した飯島の別荘には婦人ばかりで、それは/\余程|別嬪《べっぴん》な嬢様に親切な忠義の女中と只《たゞ》二人ぎりですから、冗談でも申して来ましょう、本当に嬢様の別嬪を見るだけでも結構なくらいで、梅もよろしいが動きもしない口もきゝません、されども婦人は口もきくしサ動きもします、僕などは助平《すけべい》の性《たち》だから余程女の方が宜しい、マア兎も角も来たまえ」
 と誘い出しまして、二人|打連《うちつ》れ臥竜梅へまいり、その帰り路《みち》に飯島の別荘へ立寄り、
志「御免下さい、誠にしばらく」
 という声聞き附け、
米「何方《どなた》さま、おや、よく入《いら》っしゃいました」
志「是はお米《よね》さん、其の後《のち》は遂《つい》にない存外の御無沙汰《ごぶさた》をいたしました、嬢様にはお変りもなく、それは/\頂上々々、牛込から此処《こゝ》へお引移《ひきうつ》りになりましてからは、何分にも遠方ゆえ、存じながら御無沙汰に成りまして誠に相済みません」
米「まア貴方《あなた》が久しくお見えなさいませんから何《ど》うなすったかと思って、毎度お噂を申して居りました、今日は何方《どちら》へ」
志「今日は臥竜梅へ梅見に出かけましたが、梅見れば方図《ほうず》がないという譬《たとえ》の通り、未《ま》だ慊《あき》たらず、御庭中《ごていちゅう》の梅花《ばいか》を拝見いたしたく参りました」
米「それは宜《よ》く入らっしゃいました、まア何卒《どうぞ》此方《こちら》へお入《はい》りあそばせ」
 と庭の切戸《きりど》を開《ひら》きくれゝば、
「然《しか》らば御免」
 と庭口へ通ると、お米は如才《じょさい》なく、
米「まア一服召上りませ、今日は能《よ》く入らっしゃって下さいました、平常《ふだん》は私《わたくし》と嬢様ばかりですから、淋《さむ》しくって困って居《い》るところ、誠に有難うございます」
志「結構なお住いでげすな……さて萩原氏、今日君のお名吟《めいぎん》は恐れ入りましたな、何《なん》とか申したな、えゝと「煙草には燧火《すりび》のむまし梅の中《なか》」とは感服々々、僕などのような横着者《おうちゃくもの》は出る句も矢張り横着で「梅ほめて紛《まぎ》らかしけり門違《かどちが》い」かね、君のような書見《しょけん》ばかりして鬱々《うつ/\》としてはいけませんよ、先刻《さっき》の残酒《ざんしゅ》が此処《こゝ》にあるから一杯あがれよ…何《な》んですね、厭《いや》です…それでは独《ひと》りで頂戴いたします」
 と瓢箪《ひょうたん》を取り出す所へお米|出《い》で来《きた》り、
米「どうも誠にしばらく」
志「今日は嬢様に拝顔《はいがん》を得たく参りました、此処《こゝ》に居《い》るは僕が極《ごく》の親友です、今日はお土産《みやげ》も何《なん》にも持参致しません、エヘヽ有難うございます、是は恐れ入ります、お菓子を、羊羹《ようかん》結構、萩原君召し上れよ」
 とお米が茶へ湯をさしに行ったあとを見送り、
「こゝの家《うち》は女二人ぎりで、菓子などは方々から貰っても、喰い切れずに積上げて置くものだから、皆|黴《かび》を生《はや》かして捨てるくらいのものですから、喰ってやるのが却《かえ》って親切ですから召上れよ、実に此の家《うち》のお嬢様は天下に無い美人です、今に出て入《いら》っしゃるから御覧なさい」
 とお喋《しゃべ》りをしている処《ところ》へ向うの四畳半の小座敷から、飯島のお嬢さまお露が人珍らしいから、障子の隙間《すきま》より此方《こちら》を覗《のぞ》いて見ると、志丈の傍《そば》に坐っているのは例の美男《びなん》萩原新三郎にて、男ぶりといい人品《ひとがら》といい、花の顔《かんばせ》月の眉、女子《おなご》にして見まほしき優男《やさおとこ》だから、ゾッと身に染《し》み何《ど》うした風の吹廻《ふきまわ》しであんな綺麗な殿御《とのご》が此処《こゝ》へ来たのかと思うと、カッと逆上《のぼ》せて耳朶《みゝたぼ》が火の如くカッと真紅《まっか》になり、何《なん》となく間が悪くなりましたから、はたと障子をしめきり、裡《うち》へ入ったが、障子の内では男の顔が見られないから、又そっと障子を明けて庭の梅の花を眺める態《ふり》をしながら、ちょい/\と萩原の顔を見て又恥かしくなり、障子の内へ這入《はい》るかと思えば又出て来る、出たり引込《ひっこ》んだり引込んだり出たり、もじ/\しているのを志丈は見つけ、
志「萩原君、君を嬢様が先刻《さっき》から熟々《しけ/″\》と見ておりますよ、梅の花を見る態《ふり》をしていても、眼の球《たま》は全《まる》で此方《こちら》を見ているよ、今日は頓《とん》と君に蹴られたね」
 と言いながらお嬢様の方を見て
「アレ又|引込《ひっこ》んだ、アラ又出た、引込んだり
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