若《じじゃく》としてござるは感心な者だな」
亭「いえナニお誉《ほ》めで恐入ります、先程から早腰《はやごし》が抜けて立てないので」
侍「硯箱はお前の側《わき》にあるじゃアないか」
と云われてよう/\心付き、硯箱を彼《か》の侍の前に差出すと、侍は硯箱の蓋《ふた》を推開《おしひら》きて筆を取り、すら/\と名前を飯島平太郎《いいじまへいたろう》と書きおわり、自身番に届け置き、牛込のお邸《やしき》へお帰りに成りまして、此の始末を、御親父《ごしんぷ》飯島|平左衞門《へいざえもん》様にお話を申上《もうしあ》げましたれば、平左衞門様は宜《よ》く斬ったと仰《おお》せありて、それから直《すぐ》にお頭《かしら》たる小林權太夫《こばやしごんだゆう》殿へお届けに及びましたが、させるお咎《とが》めもなく切り徳《どく》切られ損《ぞん》となりました。
二
さて飯島平太郎様は、お年二十二の時に悪者《わるもの》を斬殺《きりころ》して毫《ちっと》も動ぜぬ剛気の胆力《たんりょく》でございましたれば、お年を取るに随《したが》い、益々《ます/\》智慧《ちえ》が進みましたが、その後《のち》御親父《ごしんぷ》様には亡くなられ、平太郎様には御家督《ごかとく》を御相続あそばし、御親父様の御名跡《ごみょうせき》をお嗣《つ》ぎ遊ばし、平左衞門と改名され、水道端《すいどうばた》の三宅《みやけ》様と申上げまするお旗下《はたもと》から奥様をお迎えになりまして、程なく御出生《ごしゅっしょう》のお女子《にょし》をお露《つゆ》様と申し上げ、頗《すこぶ》る御器量美《ごきりょうよし》なれば、御両親は掌中《たなぞこ》の璧《たま》と愛《め》で慈《いつく》しみ、後《あと》にお子供が出来ませず、一粒種の事なれば猶《なお》さらに撫育《ひそう》される中《うち》、隙《ひま》ゆく月日《つきひ》に関守《せきもり》なく、今年は早《は》や嬢様は十六の春を迎えられ、お家《いえ》もいよ/\御繁昌《ごはんじょう》でございましたが、盈《み》つれば虧《か》くる世のならい、奥様には不図《ふと》した事が元となり、遂《つい》に帰らぬ旅路に赴《おもむ》かれましたところ、此の奥様のお附《つき》の人に、お國《くに》と申す女中がございまして、器量人並に勝《すぐ》れ、殊《こと》に起居周旋《たちいとりまわし》に如才《じょさい》なければ、殿様にも独寝《ひとりね》の
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