なたに来ていたゞいて極りをつけて貰ひたいと云つてよこしたんですから、わたし一人では帰らりやしないわ」と娘は泣き出しさうな顔して云つた。
「だからさ、頼む。金が無いんだからね、寺へ帰つたつてまた毎日のやうに怒つて来られたんでは仕事は出来ないし、結局また飛び出さなければならないことになるだらう。さうなると益々困るばかしだ。お前のとこだつてそれだけ迷惑が大きくなる訳だからね。それにどうしてもこの原稿だけは今度片附けて了ひたい。これさへ片附けると、どんな方法でも講じて金を拵へて帰るからね、もう一度一週間か十日ばかしの間我慢して呉れつて、お前が帰つてさう云つて頼んで呉れよ。ね、いゝだらう?」私は斯う繰返したが、娘は承知しなかつた。
「そんならいゝわ、わたしどこまでもついて行くから。そしてお金の出来る間待つてゐるから」と、娘は私が相当に金の用意がしてあると思つたらしく、離れた小さな眼に剛情な色を見せて云ひ出した。
「そんならさうしなさい。しかし僕はこれから御殿場の方へ行くつもりなんだぜ。それでもいゝかね?」
「よござんすわ。うちでもさう云つてよこしたんですから、構はないわ」
その晩は泊つて明朝発つつもりだつたのだが、相手になつてるのがうるさくなつて、私はかなり酔つてもゐて大儀だつたが、宿の勘定を済まして外へ出た。斯うは云ひ張るものゝまさか娘は汽車までついて来るやうなこともあるまいと私はたかをくゝつて歩るきながら冗談など云ひかけたが、娘の様子が真気らしくもあるので、私は少し怖くなりかけた。東京行きの汽車が間もなくやつて来た。汽車の音を聞きながら、
「ほんとに行く気なんか?」と、私は念を押さずにゐられなかつた。
「ほんとですとも。あなたが帰つて下さらないんですもの……」と、娘は泣き出しさうな顔しながらも、思ひ詰めた眼付を見せて云つた。
「ぢやあ二枚買ふよ」
「いゝわ、汽車賃位ゐはわたしのとこにもありますから」
私はまたも狐につまゝれたやうな気持で、一枚を娘に渡して改札口を出て汽車に乗り、向ひ合つて腰掛に座つた。娘は紡績に汚れた銘仙の羽織を着た平常の身装であつた。「いや大船まで行つたら、下りると云ひ出すだらう。しかし下りないとなると困つたことだぞ」と、汽車が動き出すと私も不安になつた。ほんとにあのいつこく者の親父にどこまでもついて行けと云ひつけられて来たのかも知れないと思ふと、不
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