いさ」
「汽車賃位ゐなら貸してやらう」
「ご免だ」
「そんなら勝手にするさ。しかしこれ以上はどんなこと云つて来たつて俺の方では相手にしないからね、そのつもりでゐ給へ。営業妨害だよ。君なんかの相手になつてゐられるもんか」彼は斯う云ひ棄てゝ歩るいて行つた。
 何と云ふ可笑しな男だらう、しかし自分なんかの生活では有勝ちのことなんだが、あの男にとつては非常に真剣な一大事なのかも知れないと思ふと、彼の後姿を見送つて、私には苦笑以上に憤慨の気も起らなかつた。そして店さきに引返して土間の腰掛に腰をかけながら、兄さんに今度の事情を話した。
「そんな訳なもんですから、これから手紙を出して金を取寄せる間、二三日のところどうかしたいと思ふんですけど、それで内田君が持つて来た品物を質入れした内から十五円ばかり借りたいと思ふんですけど、何しろ内田君はひどく激昂してゐるんで、それであなたから何とか内田君に話して貰ひたいと思ふんですが……」内田も多分品物は宿屋に渡してあることゝ思はれたが、此際斯う云ひ出すほかなかつた。
「あれは何しろあの通りいつこくな奴でして、商売上のことでは私の方でも干渉もするし、また干渉もせずにゐられませんが、その他のことでは、一切干渉しないことにしてゐるんで、こつちで親切で云ふことでもすぐ反抗して来ると云つたやうな訳ですから、私が行つて見ても何と云ふか知れませんがね、それでは私は今すぐ後から出かけますから、あなたひと足さきに行つてゝ呉れませんか。一寸しかけた用事を片附けてすぐ後から参ゐりますから……」
 斯う云はれて私はまたひとりで内田の店まで十町近くのところを歩るいて行つた。店さきには鉱山の印半纏の上に筒袖の外套を着て靴を穿いた坑夫の小頭とでも云つた男が立ちながら、襦袢の袖を出さして見てゐた。縮緬と絹との一対づゝであつた。
「幾らに負かるんかね?」
「お値段のところはどうも。まつたくお取次ぎ値段でして、昨年の高い時分には十二三円からした品物なんですから、七円と云ふのはまつたくもうお取次ぎの値段を申しあげたんで、他所を聞いてご覧になつて高いやうなことがありましたらいつでもお返しになつて差支えありませんから、まつたくどうもお値段のところは……さうですね、それではほんのお愛嬌に十銭だけお引きしませう」
「十銭と云ふと、やつぱし七円だな」
「へえ、まつたくどうもお値段のところは
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