ぐすやうな根気と誠実さがなければ駄目なんだ。彼等の言ひ分は重々|尤《もつと》もであると思ふが、また我輩《わがはい》善蔵君としても、震災以来のナン[#「ナン」に傍点]についてはやはり遺憾《ゐかん》に思つてゐるんだ。つまりおせい君はその間に挾《はさ》まつて何う身動きも出来ないやうな状態なんぢやないかな。僕はおせいを悪い性質のをなごだとは考へてゐない。しかし何分にも周囲が悪いといふやうな気がされて仕方がない。こんなことを云ふと、向うの一族でも憤慨する人が沢山ありさうには思ふが、僕の感じだから仕方がないんだ。
 おせいの親父さんとそこで何んなことを云ひ合つたのか、一寸僕にははつきりしたことは云へないのだが、渡辺さんが呼びに行つてくれたのかな、そんな筈がないと思ふんだが、それならばおせいのぢいさんが話を聞いて押掛けて来たのだらうと思ふ。僕には愉快な道理はない。その前に朝のうちにおせいの義兄の小池さんといふ人と会つて、一通りのことは話を決めてゐたわけなのですから。大体おせいの親父招寿軒浅見安太郎さんは、渡辺さんの先住老僧があの老年で、あの震災当時をばさんと一緒に潰《つぶ》され、幸《さいはひ》にお怪我《けが》もなくて出て、僕もさうだつたんだが、どこを頼ることもできず、僕の厄介《やくかい》になつてをる招寿軒だからと思つて、老僧をばさんのことをお願ひしたとき招寿軒主人、またおばあさん――おせいのお母さんなぞも、それだけの義理を尽してくれたとは何うにも考へられない。さういふいろ/\の心持で招寿軒のぢゝい、宝珠のばあさん、現住謙栄師――いろ/\な思ひで酒を飲んだのでは面白くない。渡辺さんに対して随分迷惑したと思つてそんなことまで考へると味気ない気がして来る。僕はお金も欲しくはなかつたのだが、そんないろ/\な気分から渡辺さんに汽車賃十円貸してくれと云つて申込んで、たしかに一時自分の財布に入れたと思ふが、そんな法がある可《べ》きぢやないんだから矢張りお返ししたやうに思ふ。それからだ。かなり酔払つて来たんだらうから、帰りにまたそのバラック飲食店に寄りたくなつたのか、寄るといふ馬鹿はないんだ。それ程信用してないものならば、信用しない人間のところへ寄るなんていふことは間違ひのもとであることで褒《ほ》めた話ではない。そこをのんべといふ奴は仕方がないもんでして、酔つたと見えるんですな。僕はどの程度の乱暴をしたか、それは知らないんだが、大体としては私は、手を以《もつ》て人を打ち、人の器物を破壊し、人の体に怪我をさせるといふことは大変好かない。如何《いか》なる場合に於《おい》てもそれは好かない。そんなことを云ふと随分笑ふ人もあるだらうけれど、我輩の手は呪《のろ》はれた手なんだ。「呪はれた手」といふ小品を書いたこともあるが、我輩の娘、いまは十四になるが、七八年前僕等がもつと貧乏な時代、郷里で親父どもの世話になつてをつた時分だつたものだから義理ある母の手前、不憫《ふびん》ではあつたが、娘の頬《ほつ》ぺたを打つた。打つて親父の家を出て、往来の白日の前に立つて見て、涙を止めることが出来なかつた。打つまじきものを打つた、この手に呪ひあれ、呪はれた手であるといふ心持から「呪はれた手」といふのを書いて二度三度これを繰返してはならない、さう思つて来てゐるわけなのですが、いつも酔払つては喧嘩ばかししてをるといふことになつてをつて、それもこれも皆心の至らぬ故《ゆゑ》に違ひない。

 世間のことはいろ/\とむつかしく出来てゐるものらしく、僕達には分らないことが多い。自分を本当に信じてゐてくれるをんな、男なんて、この世間に幾人ゐるんだらうか。せい公もどれくらゐまでに僕を信じてゐてくれて、僕のところに居りたいと云つてをるのか、僕には何うにも分りかねる。をんなといふものの正体が、僕にはかなり分つてゐないらしい。それやこれやとは話しがとんちんかんになるやうで、ひどく気がひけるんだが、いろ/\のことから、女房子供の所へ帰つて行くほか道がないやうな状態になつた。この下宿西城館の厚意といふものは大変なんだけれど、いつまでもその厚意を受けてゐられないほど、わたしの与太は過ぎたらしい。われ/\は自分の過失について何《ど》の程度までに責任を背負つていゝか、人間の過失といふものは、矢張りむつかしい入組んだ事情から醸《かも》されて来てをることが多いんぢやないか。妻子縁類のこと、をんなのこと、思ひつめて行くと何うにもならないところにいつでも打突《ぶつつ》かつて行く。昔ならば坊主になつて、何《な》にも彼《か》にも三十八年間の罪業過失の懺悔《ざんげ》をしたいところであるんだが、――此《こ》の間演伎座で中車《ちゆうしや》の錨知盛《いかりとももり》を見たが、弁慶が出て来て知盛の首に数珠《じゆず》を投げかけたところ、知盛憤然として、四姓始まつて以来、討てば討ち、討たるればまた討ち返す、これが源氏平家の家憲であつた。だから坊主になれなぞとは失敬な! といふやうな意味のことを云つて錨綱を体に巻いて海にはひつたやうなところは、やはり僕は日本人の伝習感情として、何うにもしやうがないものらしい。それと僕の心持などは、較《くら》べてゐるやうなことは無論思ひはしないんだが、真面目《まじめ》に考へたところで、何うしたらばいゝんだらう。すべては、人生は、生活は、かう云ふものだと思ひ諦《あきら》めて、頭のよくなることを考へ、悧巧《りかう》になることの工夫をし、それで気がすめば大変いゝことだとは思ふが、僕には何うにもまだそこまで悟りが出来てゐない。二三の友人は持つてをるつもりだが、僕にはやはり何よりも女房は親密であり、また女房の方でも僕のことを心配してゐてくれてるやうな気もするんだが、それもやはり世の中のうつけた考へなのかも知れない。しかし、さう云つては女房は可哀さうだな。おさん[#「おさん」に傍点]は不憫だとかいふやうな文句を大阪の文楽座できいて何うにも涙が出て仕方がなかつたことがあるが――

 ぽつねんと机の前に坐り、あれやこれやと考へて、思ひのふさぐ時、自分を慰めてくれ、思ひを引立ててくれるものは、ザラな顔見知合ひの人間よりか、窓の外の樹木――殊にこのごろの椎の木の日を浴び、光りに戯れてゐるやうな若葉ほど、自分の胸に安らかさと力を与へてくれるものはない。鎌倉行き、売る、売り物、三題話のやうな各々《おの/\》の生活――土地を売つた以上は郷里の妻子のところに帰るほかない。人間墳墓の地を忘れてはならない。椎の若葉に光りあれ、僕は何処《どこ》に光りと熱とを求めてさまよふべきなんだらうか。我輩の葉は最早朽ちかけてゐるのだが、親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾部分かを僕に恵め。
[#地から2字上げ](大正十三年六月)



底本:「現代日本文學大系 49 葛西善藏 嘉村磯多 相馬泰三 川崎長太郎 宮路嘉六 木山捷平 集」筑摩書房
   1973(昭和48)年2月5日初版第1刷発行
※底本は旧仮名新字で、カタカナで表記した名詞の拗促音のみ小書きしている。ルビ中の拗促音も、これにならって処理した。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林田清明
校正:松永正敏
2000年9月21日公開
2006年3月18日修正
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