、鎌倉署の部長さんだと思ふ、名刺には巡査飯田栄安氏とありますが、この方に発車まで見送られ、何うしたか往復の切符の復《かへ》りをなくし、またお金もなくし、飯田さんに汽車賃を借りて乗つて来たやうな訳なんだが、本郷の下宿へ帰つたのは多分十一時過ぎになつてゐたらうと思ふ。すると、電話が掛つて来た。下宿の女中さんなどは無論寝てゐたんだが、電話に出て、読売[#「読売」に白丸傍点]からだと取次いでくれた。滅多に読売新聞社なんかから電話があることはないんだが、何うしたのかと思つて電話に出て見ると、僕が鎌倉のおせいの家で散々乱暴を働き、仲裁に入つた男の睾丸《こうぐわん》を蹴上《けあ》げて気絶さしたとか、云々《うんぬん》の通信なんだがそれに間違ひはありませんか、一応お訊《たづ》ねする次第です――と云つたやうな話を聞き、ひどく狼狽《らうばい》した訳です。斯《か》うなつては弁解したところで仕方がないのだ。何分穏便のお取計らひを願ひたい、斯う云つて電話を切つたやうな訳でしたが、その翌朝の十三日は親父の命日の日だ。兎《と》に角《かく》余程親父には気に入らないと見えて、とかく親父の日にお灸《きう》を据《す》ゑられる。僕は何処《どこ》までも小説のつもりで話してゐるのだから、いろいろ本当の名前を挙《あ》げては悪いのだが、僕は自己小説家だから云ひますが、読売新聞社が其《そ》の晩に電話を掛けて呉《く》れて、翌朝の新聞に何行かの僕の釈明を載せて呉れたことは非常にありがたく思ふ。何年か前、やはり鎌倉で、僕の総領の失策から、新聞に書かれたことがあつて弱つたことがあるが、あの時の鎌倉の署長さんは、たしか吉田さんと云つたと思ふが、僕としては精一杯お詫《わ》びをした筈であり、子供は尋常六年生だつたが、もうあと半月そこ/\で卒業になる場合だから、鎌倉へ置いて悪いと云ふならば、あしたにも郷里へ帰す、何んな責任でも帯びるから、いろ/\な書類の手続きだけは勘弁して下さいと、男泣きに泣いて涙を流してお願ひした筈だつたのだが、何うもお役所といふものは、我々の考へてゐるやうなわけにはゆかないものらしく、何もわけの分らない十三歳の男の子に、拇印《ぼいん》を押させ――そんな子の拇印なぞが、それ程役所には大事なものか知ら。が、それは余談だが、それで雑誌「改造」に「不良児」といふ、それこそは事実の記録なんですが、それを書き、その上に神奈
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