も返してやるし、おせいちやんにも何でもお禮をする。僕は仕事さへ出來ればいゝんだから、仕事が出來て金さへはひるやうになつたら、お前とこのお父さんにも資本だつて何だつて貸してやるよ」私は斯う子供にでも云ふやうなことを云つたりしては、叱つたり宥めたりして、自分の氣紛れな氣分通りを振舞つて來たのだつた。おせいの家への借金もかなりの額になつてゐたが、三年經つたが、長篇どころか、この夏貧弱な全收穫の短篇集一册出せたきりで、その金もおせいの家の借金へは※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らず、自分の父の死んだ後始末などに使つてしまつた。私はチエホフの「犧牲」と云ふ短篇が思ひ出されたりした。醫學生の研究臺となり、性慾機關となり、やがてその醫學生は學校を卒業して女と別れて行く、女はまた別の醫學生に見出されて同棲して同じ生活を繰返さゝれる――おせいと自分の場合とは違ふとしても、二十だつた娘がもうぢき二十四になる――この三年間のことを考へたゞけでも自分は氣の毒にならずにゐられない。何と云ふ忠實ないゝ娘だつたらう。せめて性的にでも慰めてやるべきだつたらうか。が自分は今、春になつて雪でも消えたら、遠く郷里の山の中に引込みたいと思つてゐるのだ。自分はその時のことを考へると淋しくなる。自分のやうな人間のために多少でも婚期に影響した――そんなこともあり得ないとは、或は云へないかも知れない。
「關係してるんだらう。ないと云ふのはどうも嘘らしいな。案外君と云ふ男は何にもしてゐないやうな顏してゐて、何でもやつてるんだからな、わかりやしないよ。さうなんだらう? また君としても關係してると云つてる方が氣が樂ぢやないか」と、ある友人が私に云つたりした。
「まあさうだな。それではさう云ふことにして置くさ」と、私も苦笑するほかなかつた。
 夏父を郷里に葬つて鎌倉に歸つて來ると、私はすつかりポカンとしてしまつて、それを紛らすため何年にもしたことのない海水浴に出かけて行つた。建長寺境内から由比ヶ濱まで汗を流しながら毎日通つた。海水場の雜沓は驚かれるばかりだつた。砂の上にも水の中にも、露はな海水着姿の男女が、膚と膚と觸れ合はんばかしにして、自由に戲れ遊んでゐる。さうした派手な海水着の若い女たちの縱いまゝな千姿萬態のフヰルムが、夕方寺に歸つておせいのお酌で飮み始めると、何年にも憶えない挑發的な感じで眼先きにちらつい
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